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第45回 卒業式 卒業生別れの言葉

第45回 卒業式 卒業生別れの言葉の内容です
卒業生の3年間の想いが詰まっている内容です。
ぜひ、ご覧ください。

上祖師谷中学校 副校長 毛利慎治



卒業生別れの言葉



校庭の桜も咲き始め、例年よりも早く、
春が訪れようとしています。             
本日は、令和四年度「卒業式」を開いていただいて、ありがとうございます。やっとコロナの猛威が静まりかけた今、卒業式を迎えられたことをとても嬉しく思います。
私たち一四一名は今日旅立ちます。

 私たちの中学校生活は、二か月遅れの入学式から始まりました。コロナ禍中で迎えた中学一年生の夏は、全員マスクで、クラスメイトの顔もよくわからないまま、最初のうちは、教室にも入ることができませんでした。校門で書類を受け取り、決められた課題を家でやり、提出するという日々が続きました。中学校生活への希望より、この先どうなっていくのか、という大きな不安をかかえる中、ひたすら自分達が出来ることをやっていくしかありませんでした。学校生活には常に制限がかかり、行事などは延期が当たり前、中止されなければまだいい方だ、という考えが私たちの中には自然と生まれていました。そして移動教室は行われないまま、中学一年生は終わってしまいました。
 中学二年生では様々な行事が形を変えて、少しずつ行われ、新鮮な一年間となりました。それでも、コロナがなければもっとたくさんのことに挑戦できたのに、と思いました。

 部活動では、コロナの影響で活動規模が縮小されたり、対外試合が出来なかったり、やっとできても無観客での試合など、自分たちがあこがれていた部活動の姿とは違った活動になってしまいました。しかし、同じ目標を掲げ、ともに努力し、切磋琢磨しあう仲間と共に夏の炎天下の中、冬の寒気の中、クタクタになるまで活動できた日々が、今振り返ると一瞬にして蘇ってきます。
 悔しい結果と自分たちの弱さに直面した時も多く、その分、良い結果を出せた時の嬉しさは格別でした。
 このようにいろいろな制限の中で、様々な体験をすることができたのは、感染対策を考慮し、部の運営をして下さった顧問の先生、、限られた時間でいろんなことを教えて下さったコーチの方、そして何よりも一番近くで応援し、支えてくれた保護者の方のお陰です。ありがとうございました。

 上中二大行事の一つである体育祭は、一,二年生の時は縮小版で、学年競技もなく行われましたが、私たちが三年生の時、ムカデ競争が復活しました。しかし、私たちは三年前の先輩方のムカデ競争を見たことがありません。初めてやる競技でしたが、自分たちの代から再開すること、伝統を引き継いでいくことの責任を感じ、どのクラスもやる気に満ち溢れていました。
たくさん転び、ムカデの足もたくさんちぎれましたが、最後までやりきることができました。順位が確定しても最後まで全力でやりきり、クラスに関係なく声援を送る姿に、この学年の良さが出ていました。限られた時間や条件で、全力を尽くしたこの経験は、今後の各々の人生で必ず活かすことができると思います。
 後輩達には、競技だけでなく、実行委員会や各係での三年生の頑張る姿を見て、この文化を引き継ぎ、次の後輩へとつなげていってほしいです。

 もう一つの上中二大行事である音楽祭を、初めて経験したのは二年生の時でした。一年生の時はコロナで中止となり、学習発表会へと変更されました。行事そのものは成功に終わりましたが、先輩方を含め、私たちには無念が残りました。
 やっと実現した二年生での音楽祭は、同学年の歌すらも、直接聞くこともできず、少し味気ないものだったと思います。
 そして三年生。最後の音楽祭は通常通りとは言えないものの同学年や保護者の方も体育館に入ることができ、限りなく日常を取り戻せたように感じました。しかし、練習はそうはいきませんでした。受験期を挟んでの練習で、音楽祭が近づいてもなかなか目標が達成できなかったり、クラスが一つにまとまらなかったりと、さまざまな苦労がありました。諦めたいと思ったことは何度もありました。しかし、その度に仲間に支えられて立ち上がることができました。
 完全な音楽祭ではなかったかもしれませんが、私たちの良さである「臨機応変」の力を発揮して、三年間の集大成となる最高のパフォーマンスを出すことができたと思います。

 多くの行事にたくさんの制限がかかりましたが、修学旅行は三年ぶりに通常の形で実施されました。移動教室がなかった私たちにとっては、最初で最後の宿泊行事でした。
 広島では被爆者の梶本さんの貴重なお話や、資料館の展示から、原子爆弾の惨さや戦争の非情さを学びました。そして原爆は決して過去のものではなく、今でも身近にあると感じました。
 私たちは未来の日本を、世界を創っていく立場にあるとともに、世界で唯一の被爆国の国民です。今回の経験を基に、原爆の悲惨さが忘れられないよう、多くの人に伝え、平和の大切さを世界に訴えていく義務がある、と強く思いました。
 京都では、町並みや舞妓さんの舞の鑑賞などから、日本文化に広く触れることができました。自分達で考えたルートで、京都市内の神社仏閣をめぐったこと、お土産を買ったことすべてが、楽しい時間でした。
友達と「暑いね」と言いながら過ごした三日間が、今ではとても懐かしいです。

三年間の感謝
 僕がI組で過ごした三年間を振り返ると、沢山の感謝がわき上がってきます。
 入学式は、とても緊張していました。ですが、担任の先生が何度も教えてくれたおかげで、緊張も和らぎ、無事に入学式を成功させることができました。入学した後も、授業で分からないことがあった時に、先生方が優しく教えてくださりました。
 特に印象に残っているのはマラソン大会です。先生方は、時に優しく、時に厳しくご指導してくださりました。本番では苦しくてつらい時もありましたが、5Kmを走り切ることができました。ゴールした時は達成感を感じ、感動しました。僕は辛くてもあきらめないことの大切さを学びました。これからの人生でも、この学びを活かしたいと思います。
 また、I組で出会った先輩方や後輩達にも感謝しています。先輩方はいつも楽しく接してくれました。そして行事などではいつも頼もしい存在でした。内気だった僕は、先輩方のおかげで、明るい性格に変わっていったと思います。後輩達は、にぎやかな人が多くて、I組はいつも仲良く生活することができました。最後の行事になった音楽祭では、僕達の中の良さが披露できた素敵な演奏になったと思います。これからもI組をよくしていってください。
 そして最後に、お父さんお母さん、いつもいつも支えてくれてありがとう。三年生になって、進路について悩んだ時、お父さんお母さんは「他のことは気にせず、自分の行きたい所に決めればいいよ」と、いつも僕のことを信じてくれました。それが、とても嬉しかったし、その言葉が受験勉強の励みにもなりました。
 三年間、様々な経験をして成長することができました。上祖師谷中学校のI組で三年間過ごすことができて本当に感謝しています。
これから僕は自立に向けて頑張っていきます。

 私たちの三年間は見えない敵と戦い続けた日々でした。コロナ禍の中、私たち三年生は「あたりまえ」を学年目標として三年間歩んできました。制限がかかったり、思い通りにいかなかったり、戸惑うことも多くありました。しかし、諦めず、笑顔で、仲間と支え合いながらこの三年間を乗り越えたことで、成長できたと思います。
 思い返すと苦しかった記憶よりも友達とくだらないことで笑いあったことや、行事で楽しかったことばかりが、浮かんできます。
今はこの三年間で出会った、かけがえのない仲間、先生をはじめ教職員の方々、そしていつも見守ってくださった保護者の方への感謝の思いでいっぱいです。本当にありがとうございました。
 この先の進んでいく道はそれぞれ違います。先の見えない日々が続くこともあるでしょう。喜びや悲しみ、いらだちや憧れ、さまざまな気持ちがこみ上げてくるでしょう。そんな時でも、私たちはこの三年間を思い出し、それぞれの夢を目指して、歩き続けていきます。


令和五年三月二十日

卒業生代表  及び 別れの言葉作成実行委員

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