『お知らせ・トピックス』のコーナーでは、「今日のできごと」や「おしらせ」、「校長室より」など更新された順に砧中の様子を紹介しております。それぞれの記事をご覧になる場合には、左欄のカテゴリのタグから項目をお選び下さい。

校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.72

1928(昭和3)年、アムステルダムオリンピック。
この大会からオリンピックの選手として
初めて女性の参加が認められた。

一人の女性が日本代表に選ばれる。
日本人初の女性オリンピック選手、
人見絹枝(ひとみきぬえ)である。

「女性が足を出して走るなどみっともない」

世間では女性がスポーツをすることに
偏見が存在していた時代。
人見絹枝の自宅にも
彼女を非難する手紙が大量に届いたという。

一方、日本代表に選ばれてからは
勝利至上主義のプレッシャーが彼女を襲う。
「金メダルをとれなければ帰ってくるな」と。

無責任な様々な声を背に
彼女はオランダ・アムステルダムへと旅立つ。

 
  🇳🇱    🇳🇱    🇳🇱    🇳🇱


絶対的自信を持って臨んだ陸上100m。
しかし、人見は準決勝で敗退する。
「このままでは日本に帰れない」
追い込まれた彼女は一つの決断をする。
これまで一度も走ったことのない800mへの出場。

8月2日、800mのスタート。
経験のない距離にペースをつかめないまま
中盤まで6位あたりをキープする。
そしてレースの終盤で
人見は猛然とダッシュをする。
次々と選手を追い越し、
トップのドイツ代表ラトケ選手と
熾烈(しれつ)なデッドヒートを演じる。

ラトケ選手のすぐ後ろまで迫るが、
結果、惜しくも2位でゴール。
ゴール直後、人見もそしてラトケ選手も
その場で気を失ったという。
それほど過酷なレースだった。

金メダルには手が届かなかったとはいえ
日本人女性初のメダリスト誕生。

帰国後、人見は銀メダリストとし評価は得たものの
女性スポーツに対する偏見が
依然として根深いことに失望する。

人見は全国を飛び回り、
女性スポーツの普及に全力を尽くす。
しかし、その無理がたたり肺炎を患って
1931(昭和6)年、24歳の若さでこの世を去る。
奇しくも3年前のまさにその日、
彼女が銀メダルを獲得した8月2日であった。

  
  🏃    🏃    🏃    🏃


世間から冷ややかな視線を浴び続けた
女性スポーツのパイオニア。

彼女の言葉が残されている。

  いくらでも罵(ののし)れ!
  私はそれを甘んじて受ける。
  しかし私の後から生まれてくる
  若い女子選手や
  日本女子競技会には
  指一つ触れさせない。


今年のNHK大河ドラマ
『いだてん〜東京オリムピック噺〜』

いよいよ人見絹枝が登場する。

校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.71

ふらりと立ち寄った夕方の図書室。
女子生徒が一人、机に向かっていた。
黙々とノートに何かを書き写している。

その情景が遠い日の記憶を思い起こさせた。


  📔    📔    📔    📔


それは私が中学生の時の記憶。

いつもの昼休み。
教室の片隅にお決まりの仲間数人で集まり、
人の噂話や愚痴などで盛り上がっていた。
私はその中の一人だった。

教室のもう一方の片隅に
一人で教科書を開いて勉強している男子生徒がいた。

 S君 − 昼休み、彼はいつも一人で勉強していた。

私の仲間の一人が彼を指差して
聞こえよがしに私たちにささやいた。

「ガリ勉・・・」

そう言った後、クスクスと笑い始めた。
つられて、他の仲間たちも笑った。

私も笑った。
いや、笑いたかったわけではない。
笑うことで、仲間たちに同調していることを
周囲に示したかっただけ、というのが本心だった。

笑いながら、しかし私は心のどこかで
虚(むな)しさを感じていた。

昼休み、何となく仲間同士集まり、
何となく噂話をして、
何となく周囲に合わせて笑い、
何となく安心している自分。

集団に属していることを
確認したいだけの日々。

一方で集団などどこ吹く風、といった空気をまとい
机に向かって黙々と勉強しているS君。

本来なら多数に所属することで
優越感を味わうはずなのに
その時の私はS君の姿に劣等感を抱いていた。


ある日の放課後、
図書室で一人勉強するS君を見かけた。
私は周囲に誰もいないことを確認して、
そっと彼に問いかけた。

「一人で寂しくないの?」

彼は不思議そうに私の顔を見つめた。
そして、ふっと笑みを浮かべてこう答えた。

「一人でいたい時に一人でいるだけ。
 無理して誰かと一緒にいる方が疲れるし。」

 〜 無理して誰かと一緒にいる 〜

まさに私の心の底を覗(のぞ)かれた気分だった。

その時、私は国語の授業で習った
「孤高」という言葉の意味が
少しだけわかったような気がしていた。
言葉は似ていても
「孤独」とは全く異なる、と先生が教えてくれた
その言葉の意味が。


  ✏️    ✏️    ✏️    ✏️


砧中学校、放課後の図書室。

女子生徒の姿があの日のS君と重なった。

私は彼女の邪魔にならないよう、
そっと図書室を後にした。

校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.70

「嵐山の竹が泣いています・・・」

一年前、京都の観光会社が
ネット上に被害を訴えた。

竹林で有名な京都・嵐山。
100本以上の竹に落書きが相次いで発見されたのだ。

数日前、私はその竹林の小径(こみち)を歩いてみた。
「幽玄(ゆうげん)」「雅(みやび)」
そんな言葉が似合う趣(おもむき)ある散策路。
遠い過去へとタイムスリップしたような感覚。
次世代へと引き継ぎたい景観である。

観光客の増加に比例して
マナー違反も増加しているという。
竹に刃物で自分の名前などを彫り、
それをSNSに投稿するというのだ。

知人に見せびらかしたいためだけの
視野の狭い自己主張。
長い歴史の中で受け継がれてきた自然美に対して、
悲しいまでの現代人の浅はかさである。


  🏞️    🏞️    🏞️    🏞️


高畑勲監督作品
映画『かぐや姫の物語』(2013年)。
水墨画と水彩画を融合させたような
不思議な魅力をもつアニメーション。

もちろん原作は日本最古の物語と言われる
『竹取物語』である。

映画では草や木、花が丁寧に表現され、
日本の自然の豊かさを味わうことができる。
この作品の中で、自然をいとおしみ、
自然と共に生きる人びとの姿が描かれている。
私たちの先人はそうやって自然の美を
時を超えて次世代へとつないできたのだ。

映画の主題歌である『いのちの記憶』
その歌詞の一節。

 いまのすべては 過去のすべて

今ある遺産は過去から引き継がれてきたもの。

映画のラストシーン。
月からの使者がかぐや姫に
汚れたこの地から月へ戻るようにと告げる。
しかしかぐや姫は
それを認めようとはしない。

「この地は汚れてなんかいないわ!
 この地に生きるものはみんな
 彩(いろどり)に満ちて!
 鳥、虫、けもの、草木花、人の情・・」

そう、かぐや姫は信じている。
この地に住む人の情は決して汚れていないと。

 
  🌿    🌿    🌿    🌿


竹林の小径を歩きながら、
ふと気がつくと『いのちの記憶』を口ずさんでいた。

 いまのすべては 過去のすべて

 いまのすべては 未来の希望 ・・・ 
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校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.69

森と湖の国フィンランド、
その首都ヘルシンキにある小さな食堂。
日本食を提供するその食堂は
開店から一ヶ月、全く客が入らない。

2006年公開の映画『かもめ食堂』は
全編フィンランドでロケが行われた。

日本食に馴染みのないフィンランドの人々は
好奇心はあっても店内には入ってこようとしない。
それでも小林聡美さん演じる店主のサチエは
肩に力が入ることもなく自然体なのだ。

「毎日真面目にやっていれば
 そのうちお客さんも来るようになりますよ」

「来なかったら?」

「その時はその時です」

頑張ることにちょっと疲れた時に
肩の力を抜いて、のんびりと観たい映画である。


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さて、フィンランドと言えば「ムーミン」。
一年前の大学入試センター試験、地理の問題。
ムーミンと関係する国は
フィンランドかノルウェーかを選択する。

ムーミンの舞台は架空のムーミン谷であって
どちらも不正解ではないか、
そもそもムーミンなんて高校で教わっていない、
SNSやメディアでこの出題に批判が相次いだ。

それでもこの地理の問題、
ムーミンを知らなくても
いくつかのヒントをもとに仮説を立てていくと
フィンランドの正解にたどり着けるようになっている。
私個人としては、受験生の「仮説検証する力」を試す
なかなかの良問だと考えている。

それよりも、気に入らなければ何でもバッシングする
肩に力の入り過ぎた最近の風潮の方にこそ不安を感じる。
何でも目くじらを立てる人たちに
ムーミンの登場人物スナフキンの言葉を贈りたい。

「長い旅行に必要なのは大きなカバンではなく、
 口ずさめる一つの歌さ」


  🍴    🍴    🍴    🍴


自然に恵まれたフィンランド。
そこに住む人たちの暮らしは
ゆったりと人生を謳歌(おうか)しているように見える。

それでも映画『かもめ食堂』の中で
様々な悩みを抱えた客たちがやって来る。

再び店主サチエの言葉。

「どこにいたって悲しい人は悲しい
 寂しい人は寂しいのよ」

人の悩みに国境はない。

サチエの人柄と
美味しい料理に誘われて
かもめ食堂に次第に客が増えていく。

サチエの「食堂を満席にする」という夢が
果たして叶えられる日は来るのだろうか。

映画を見終わった後、
少し肩の力が抜けている自分がいる。


コラムの最後に再び大学入試の「ムーミン問題」。
この論争について尋ねられたフィンランド外相。
彼は笑顔でこう答えたと言う。

「ムーミンは一人一人の心の中にいる」

校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.68

元号が昭和だった頃の話。

当時私はある学級の授業に
行き詰まりを感じていた。
質問をしても全く反応がない。
机に伏したまま居眠りする数名の生徒。
教室に入るたびに
重苦しい空気に自信を失いかけていた。

そんな私を見かねてか
先輩のA先生が声をかけてくれた。

「次回の授業の時に私も教室に入ってみるよ。
 その時何でもいいから、私に質問してみて。」

A先生は約束どおり、次の授業の時に
途中から教室にふらりと入ってきた。

私はA先生に歴史の質問をした。
「大阪の土台をつくった戦国時代の人物は?」

A先生は平然と答えた。
「バース」

次の瞬間、教室は爆笑に包まれた。
いつも居眠りしている生徒が
ゲラゲラ笑いながらA先生に教えようとする。
「A先生違うよ、答えは豊臣秀吉だよ。」

(※ちなみに「バース」とは、
 当時の阪神タイガースの4番バッターである)

A先生は素知らぬ顔をして教室を出て行った。

その後、不思議なことに
教室の雰囲気が一変した。
あれほど重苦しかった学級に笑顔が広がり、
何人かの生徒が手を挙げ始めたのだ。


  🏫    🏫    🏫    🏫


笑いの力は絶大である。

パッチ・アダムスと呼ばれる医師がいる。
彼はピエロに扮装して患者の前に登場し、
病室を笑いの渦に巻き込んでいく。

患者たちを励ますだけが目的ではない。
患者が笑うことで免疫力が高まることが
医学的にも証明されているのだ。

パッチ・アダムス、本名ハンター・アダムス。
愛称の「パッチ」とは
「手当て」や「ばんそこう」の意味である。


  🤡    🤡    🤡    🤡


三重県にあるテーマパーク、
そのホームページのPRメッセージ。

「並ばないから乗り放題」

これがSNSで面白いと評判になり、
来場者が大幅に増えたという。

恐るべし、笑いの効果。


  🎢    🎢    🎢    🎢


令和の現在。

砧中学校での授業時間、
私はいつものように校舎内を巡っている。

教室から笑い声が聞こえてくる。
その笑い声につられて、
私はふらりと教室に入る。

あの日のA先生のように。

  楽しいから笑うのではない。
  笑うから楽しいのだ。  

校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.67

その歌を初めて耳にしたのは
1993年の運動会でのこと。
放送委員の生徒がBGMとして
繰り返し流していたのだ。
全力で走る生徒たちの姿と
歌詞の情景が重なり、
胸が熱くなったことを憶えている。

  負けないで もう少し
  最後まで  走り抜けて

その歌は ・・・
平成を代表する応援ソングと言われる
ZARD(ザード)の『負けないで』。

その年のヒット曲となったにも関わらず
テレビなどへの出演がほとんど無かったことで、
果たしてボーカルの女性シンガーは
本当に存在するのか、と言った
「都市伝説」が生まれることとなる。


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ZARDの155に及ぶ楽曲、
そのほとんどの歌詞を
ボーカルの坂井泉水が書いている。
彼女の残した直筆メモは500枚を越え、
曲にもっともふさわしい言葉を探し、
何度も何度も書き直した跡がうかがえる。

『負けないで』の歌詞もそう。
「目と目が合った様な」を「視線がぶつかる」へ
「あきらめないで」を「走り抜けて」へ
タイトルの『負けないで』も
元々は『あきらめないで』であったと言う。

織田哲郎のアップテンポな曲が
聞く者の心を沸き立たせることは言うまでもないが、
坂井泉水がもしも歌詞を書き直していなければ、
これほど多くの人たちから
支持される歌となっていたかどうか。

 
  🏃‍♂️    🏃‍♂️    🏃‍♂️    🏃‍♂️


見守ってくれる人なんていない、
この歌詞はきれい事だ、幻想だ、と言う人がいる。

しかし、私は別の見方をしている。

私が『負けないで』の中で
最も励まされるフレーズ。

  なにが起きたって ヘッチャラな顔して
  どうにかなるサと おどけてみせるの

そう、私はこの歌を
見守ってくれる誰かからの応援ではなく
自分に向けたメッセージとして受け止めている。
「負けないで」と繰り返すのは
他の誰でもない、自分の心の声なのである。

苦しいな、辛(つら)いな、と感じた時に
今の自分はヘッチャラな顔ができているだろうか
このフレーズを思い出しながら、
自分自身に何度も問いかけてきたように思う。
そしてまた、自分自身に言い聞かせてきた
「どうにかなるサ」と。

応援ソングには、
それぞれの解釈があっていいと思う。
またそれぞれの解釈があるからこそ
歌い継がれ、
誰かを励まし続けているのかもしれない。


2007年5月、
ボーカルの坂井泉水は永遠の存在となった。
「都市伝説」ではなく
本当の意味での「伝説」となったのである。


※参考; NHK BSプレミアム
    『ZARDよ永遠なれ
     坂井泉水の歌はこう生まれた』

校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.66

🎵 今 私の願いごとが 叶うならば
   翼がほしい
   この背中に 鳥のように
   白い翼 つけてください 🎵

フォークグループ「赤い鳥」が
1971年に発表した『翼をください』の一節。
現在は合唱曲として
数多くの学校でも歌われている。
「背中に翼をつけて鳥のように大空を羽ばたく」
これは私たち人間にとって永遠の夢である。

その夢に水を差すような話題を。

 〜 鳥は本当に空を飛びたいのか? 〜

鳥類学者 川上和人氏によると
多くの鳥はほとんど空を飛んでいないと言う。
例えばスズメの飛ぶ平均時間は
30分間で1分ほど。
カラスは35秒、
ハトに至っては24秒しかない。
意外な事に地面で過ごす時間が圧倒的に多いのだ。

鳥にとって飛ぶという行為は
相当なエネルギーを消費する。
長時間飛行する渡り鳥も
飛び立つまでの期間、体内に多くの脂肪を
エネルギーとして蓄(たくわ)えなければならない。

鳥たちにとって「飛ぶこと」は
とても「しんどい」ことなのだ。

さらにその鳥の翼、
これは進化の過程で腕が変化したもの。
私たち人間が翼をつけるためには
背中ではなく、腕の代わりにつけることになる。
何かを身につけるためには
何かを失わなければならない。

鳥類はかつて二足歩行の恐竜から
進化したと言われている。
敵から身を守るために
必死に腕を羽ばたかせ、
命からがら逃げ続けたのであろう。
いつしかその腕は羽毛に覆(おお)われ、
少しずつ空を飛べるようになったと推測される。

鳥たちの翼は
何万年にもわたる命がけの結果と言える。
できることなら
鳥たちは空を飛びたくなかったのである。


  🕊️    🕊️    🕊️    🕊️


そんな風に生物学的に考えると
私たちが翼に込めた夢や希望が
次第に色褪(いろあ)せていくように思えてくる。

それでも私は翼に、夢や希望を託したい。
太古の昔から、人が大空に憧れ、
翼をつけて飛ぶことを目指してきたように・・・

※ 木の枝に止まる鳥は
 決して枝が折れることを怖れたりしない。
 枝を信頼しているからではなく
 翼を信頼しているからだ。
 
(※ アラン・ピーズ&バーバラ・ピーズ著作より)

校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.65

アメリカの小話から。

テキサス州に住む家族の出来事。
ある夜、次の休日の旅行の計画について
家族の間で話し合いが行われた。
家族の一人が提案した。
「アビリーンの町に行こう」と。
話し合った結果、その提案を受けて
アビリーンの町へ家族旅行する事が決定した。

休日、家族の旅が始まった。
しかしアビリーンまでの道中は
長く、暑く、埃(ほこり)っぽく、
目的地に着くまでに家族全員が疲れ果ててしまった。
さらにその町には見所がほとんど無かったのだ。

一人が不満を口にする。
「だから私はアビリーンには反対だったのだ」
もう一人が問い詰(つ)める。
「もともと誰がアビリーンと言い出したのだ?」
最初に提案した一人が答える。
「私はただ提案しただけで、行きたいとは言っていない」

話し合って何かを決めることは大切である。
しかし、時には無責任な結論となる場合も。
「アビリーンの逆説」と呼ばれるこのお話、
私たちが話し合いをする際に
心に留めておきたいエピソードである。


  🚙    🚙    🚙    🚙


「対話的な学び」が学校に求められている。
かつての講義形式の授業が見直され、
話し合い活動が取り入れられるようになった。
もちろん、これからの時代
「話す力」を身につけることは必要である。

とは言え、話し合いには落とし穴もあるのだ。

 − だから私は反対だった −

大人の話し合いでもよくある光景。
イギリスのEU離脱(りだつ)問題も
もしかしたら「アビリーンの逆説」か。


  ✏️    ✏️    ✏️    ✏️


SNSで様々な意見が飛び交う今の時代。
ネット上ではあらゆる問題について議論が活発だ。
それらの議論を見ていると 
議論の相手を一方的に批判する書き込みも多い。

確かに議論は相手と対立するものだ。
それでも相手を中傷ことには疑問を感じる。
物事を決めるために「議論」は必要だが、
砧中学校での取り組みでは、
まずは「対話」から始めたいと思う。

このコラムの最後に
前回取り上げた小説「竜馬がゆく」を再び。
主人公竜馬の言葉から。

  俺は議論はしない。
  議論に勝っても
  人の生き方は変えられぬ。

校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.64

私が中学生の時のことである。
当時は健康診断の項目に「色覚検査」があった。
数種類の色のモザイク模様の中から
文字などを読み取らせるという検査。

そして私は毎回この検査で
「異常あり」と診断されていた。
日常生活で不便を感じていなかったにも関わらず。

その年の検査でも模様の中の文字が読めなかった。
検査を担当していた先生は淡々と私に告げた。

      ~異常あり~

それを聞いていた同級生たちを介(かい)して
私の検査結果のことが校内の噂(うわさ)となった。

軽い遊び心からであろうが
何人かの同級生が私の色覚を試すかのように
文房具などを私に見せながら
質問を投げかけるようになった。

「これは何色(なにいろ)に見える?」と。

繰り返される無自覚な悪意に
私は追い込まれていった。

ある日のこと。
他のクラスの生徒が廊下ですれ違いざまに
赤い下敷きを私に見せながら問いかけてきた。
「何色に見える?」

悲しさと悔しさで
私は怒りに震(ふる)えながら彼に言い返した。

「いい加減にしろよ。赤に決まってるだろ!」

その生徒は赤い下敷きをヒラヒラさせながら
「ハズレ、黄色です。」と嘲(あざけ)るように笑った。
自分は冷やかしやからかいの対象となっている、
そう感じた私は耐(た)えきれなくなり
逃げるように教室へと駆け込んだ。


  👓    👓    👓    👓


そんなある日
私は図書室で一冊の本と出会った。
分厚いその本に元々興味があったわけではない。
偶然手に取っていたのだ。

『竜馬がゆく』(司馬遼太郎 作)

読み始めてすぐにこの本の虜(とりこ)となった。
人の噂などものともせず
自分の信じる道を突き進む主人公竜馬の姿に
次第に魅(み)せられていった。

本を読み進めながら
いつしか自分自身に言い聞かせていた。

「他人の言動には振り回されない」


  📘    📘    📘    📘


数ヶ月後、廊下で例の生徒と出くわした。
彼は相変わらず赤い下敷きをヒラヒラとさせながら
同じ質問を私にしてきた。
「何色に見える?」
 
不思議なもので、
その日の私は以前の私とは異なっていた。
悲しさや悔しさといった感情が
湧(わ)いてこないのだ。
それどころか、私に問いかけるその生徒に対して
哀(あわ)れみの気持ちさえ抱(いだ)いていた。

私は静かにその生徒を見つめていた。
しばらく彼は私に同じ質問を繰り返していたが
徐々(じょじょ)に私から目をそらし始めた。
哀れみの眼差しで見つめられていることに
彼の方が耐えきれなくなったのかもしれない。
急に押し黙(だま)ったかと思うと、
逃げるように私の前から立ち去っていった。

一冊の本との出会いが
私の中に大きな変化をもたらせた瞬間だった。
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行事予定
6/15
(土)
運動会
6/17
(月)
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