寄り道をしないで下校しよう。

平成31年度 同窓会総会が開催

5月12(日)に30名程の方にお集まり頂き、同窓会総会が開催されました。
場所:八幡小学校ランチルーム

第1部(総会)
1)根来会長の挨拶
2)名誉会長(中川校長)の挨拶
3)議事として以下の議題が採り上げられ、承認されました。
  ・前年度の活動報告、会計報告、会計監査報告
  ・新年度の活動方針、役員紹介
4)校歌斉唱


第2部(懇親会)
 今回は2名の同窓生の方に「昔の思い出を語りましょう」という主旨でお話しをして頂きました。

白木健一さん(昭和22年卒業)
持参した写真などを紙芝居風に見せて話をされました。
まず、奥沢周辺の歴史について、16世紀頃、今の九品仏浄真寺の場所には奥沢城があり、当時周りは湿地帯の為、守りの要として千駄丸という出城が小学校の近くにあったとのことです。
白木さんは最初自由が丘にあった「トモエ学園」に入学されその後、八幡に転校されたそうです。
「トモエ学園」といえばかの有名な黒柳徹子さんが在籍された学校ですが、3年先輩におられたそうです。
学校の思い出として、校庭の桜の木、壁にベートーベンやシューベルトの自画像が飾られた音楽室、朝礼で鳴らされるラッパの音、昼休みの馬跳び、そして運動会で上級生が行う騎馬戦。剣道の面をかぶり、竹刀を振りかざす勇姿に憧れ、自分もいつかはと思ったそうです。
残念ながら終戦でその夢は叶わず。
冗談交じりに出席されていた校長先生に「こんな騎馬戦が復活したら良いですね」と述べられていました。
戦争の記憶として、昭和16年12月8日(太平洋戦争開戦日)の朝、担任の先生から「今度の戦争の相手はとても強い国なので、この町にも戦争の火が及ぶかもしれない」と言われ、当時の日本は連戦連勝でまさかという思いもありましたが、今もその言葉が心に残っているそうです。
また、当時の世相を反映して書初めで「大和魂」と書いたこと。
そして、3月10日の東京大空襲で屋根をかすめて飛行するB29と環状八号線に落ちていた焼夷弾の燃え殻を見た時、身がすくんだそうです。

宮下美智子さん(昭和19年卒)(旧姓:宮崎さん)


宮下さんには当時6年生だった空襲のお話をして頂きました。
毎朝、空襲の対応として親指で目を押さえ、人差し指で耳を塞ぎ、机の下にもぐる練習をしていました。
そして、女子数名と校庭にいた時、飛行機の爆音が聞こえたと思った瞬間、小型機(グラマン戦闘機)がいきなり現れ、機銃掃射をされました。撃たれた数は3発で、一発がプールの鉄骨に当たった音をはっきりと覚えているとのこと。あまりの近さでパイロットの顔がはっきり見えたそうです。学校の屋上に軍の見張場が設置されており、それを狙ったと思われました。
終戦後、ご主人が防衛庁にいたので米軍の関係者の親が当時の空襲に参加していたのを知り、話を聞きたいと思ったが、その願いは果たされなかったそうです。
最後に、宮下さんからお願いがありました。
機銃掃射を受けた時、一緒にいた女生徒と是非とも会いたいと思っているので、この話を周りの方にして、ご存じの方は連絡をして頂きたいとのことです。(同窓会で受け付けます)

お二人方のお話しを聴きながら、学校の思い出の中で戦争が大きなウエイトを占める出来事であったことを改めて感じました。
平成時代は大きな災害がありましたが、国内では戦争の無い時代でした。
これから令和を生きる者としてより良い時代になることを祈り、また、同窓会として八幡小学校で学ぶ子供達に明るい未来を渡せるように努めていきたいと思います。

最後に、全員で集合写真を撮り、和やかなうちに会は閉会しました。

今年は八幡小学校の創立140周年です。
同窓会としても、11月に行われる周年行事に関わって行きたいと思っています。
同窓生の方でご提案等がありましたら、ご連絡下さい。

来年も5月に総会を開きますので、初めての方でも、是非、御参加下さい。

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