松本市立山辺小学校との交流
昭和16年、戦争は激しさを増し、東京も空襲にみまわれるようになります。中里小学校の子どもたちにも命の危険が迫ります。地方に親せきがいない児童は、集団学童疎開により長野県松本市里山辺村(当時)に避難することとなりました。
里山辺村の人たちは、「へんな同情はしません。村の子どもたちと同じようにします。」と言って、あたたかく中里小学校の子どもたちを迎えてくれました。
しかし、親から離れての生活はとてもさびしいものでした。そんなとき、里山辺村の人々は、干しいもや干し柿、いり豆などのおやつをくれたり、家に招いて心のこもった料理をごちそうをしてくれたりしました。里山辺村の人々は、中里小学校の子どもたちに自分の家に帰ったような優しさを与えてくれました。
その時、中里小学校の子どもたちが里山辺村の子どもたちとともに勉強したのが、松本市立山辺小学校(当時は里山辺小学校)です。中里小学校と山辺小学校は、今も卒業式でのメッセージを交換し合い、図工や書写の作品交流などを通し、つながりあっています。
中里小学校と山辺小学校のつながりがりは、優しさと感謝のつながりです。
姉妹校として42年
山辺小学校と中里小学校とは、姉妹校となって、令和6年(2024)で42年となります。
平成24年5月には、疎開先としてお世話になった中里小学校の卒業生(当時約80歳)の32名の方が山辺小学校を訪れ、山辺小学校の子どもたちと交流会を行いました。また、同年7月には、校長が表敬訪問を行いました。
これからも、末永く両校の姉妹校は続きます!
配布文書はありません。