駒沢中のシンボル タンチ山に遊歩道とスロープが完成しました
さわやかな風を感じながら、森林浴ができます。保護者や地域の方々も利用できます。(連絡先:副校長)
タンチ山に親しむ生徒たち
タンチ山の整備
1 | 落ち葉掃きボランティア | 11月27日(月)・28日(火)の放課後、美化委員とJRC部員を中心に、タンチ山周辺の落ち葉掃きを行いました。参加生徒は、およそ... [2023年11月29日up!] |
タンチ山遊歩道 工事 平成25年5月
武蔵野の自然が残る駒沢中のシンボル「タンチ山」、生徒や地域の方々が自然に親しみ、日常から自然とかかわれるように、遊歩道を整備しています。ESD(持続発展教育)のフィールドワークにも活用します。
タンチ山が雑誌に掲載されました
タンチ山が「駒沢大学駅Walker」(2013年10月11日発行 株式会社KADOKAWA)の地元自慢ランキングBEST50に掲載されました。
遊歩道工事前のタンチ山
タンチ山の記録
昭和2年のタンチ山 向井潤吉氏撮影
駒沢中学校のすぐ近くに、平成25年7月に開館20周年を迎える「世田谷美術館分館 向井潤吉アトリエ館」があります。ここにも古き武蔵野の自然が残されています。
▲世田谷美術館分館 向井潤吉アトリエ館のホームページはこちらからタンチ山について 駒澤中学校建設助成会長 横溝一清氏 五周年記念誌より
駒澤中学校創立五周年にあたり当時を回想して (略)校舎を建てるのに第一の問題は敷地だ。(略)この「タンチ山」の持ち主望月さんと再三交渉の結果、望月さんも教育のためならばと犠牲奉仕的に譲渡を承諾され、ここに難問題は解決した。このことは本校に幸を得た第一歩であった。
タンチ山について PTA会長 横溝眞一氏 五周年記念誌より
五周年を祝して (略)本校の敷地は俗称タンチ山と言われた檜と雑木で生い茂った林で誠に静かな武蔵野の名残をとどめた丘であります。(略)
タンチ山について 校長 前川勝雄氏(初代校長) 五周年記念誌より
開校五周年を迎えて (略)当時の「タンチ山」は、東向きの斜面で、老松十本を含む総ひのき林であり、その面影は現在の学校園に残っています。そのころは一般に燃料が不足していたので、山の立木が一夜の中に数本も盗まれたことがあります。生徒たちもたいへんに心配して「私たちの木を切らないでください」という立て札やはり紙を出したりしました。(略)
タンチ山について 向井潤吉氏 駒沢小学校創立八十周年記念誌より
私がここ駒沢タンチ山に移転してきたのは昭和八年、今から約五十年前でした。そのころはまだこんな農家があちこちに健在で、静かで美しい眺めでしたが、それもいつの間にか姿を消して、今日では遠く埼玉県でも北の方へいかなければ見られなくなりました。
タンチ山について 平成8年 13「ひろば」より
▼タンチ山の記事 「13ひろば」平成8年発行 よりタンチ山の今昔 「わか竹」駒沢中学校新聞委員会 平成8年発行
▼タンチ山の今昔「わか竹」タンチ山の植物の記録 平成7年まで
▼タンチ山の樹木 平成7年まで世田谷の民話(世田谷区) タンチ山の夫婦たぬき
▼世田谷の民話 タンチ山の夫婦たぬき蛇崩川、駒沢給水塔
蛇崩川について タンチ山から蛇崩川へ
駒沢中学校の北側に蛇崩川が流れていました。旧弦巻村を水源に、旧上馬引沢村から旧下馬引沢村をとおって、目黒区の旧上目黒村で目黒川に合流する小さな川でした。駒沢中学校内のタンチ山から蛇崩川に向かってなだらかな稜線があったようです。昭和50年代に蛇崩川はほぼ全域が暗渠化(ふたをした状態)され、現在の緑道や小泉公園として整備されました。地下には現在下水道の幹線が通っています。写真は親和橋の石碑から緑道、駒沢橋跡です。(地図Google)
大雨になるとよく崖崩れを起こし、流れる形が赤土の地層を崩したように蛇行しているところから蛇崩れになったとか、あるいは崩れた崖から大蛇が出てきたという伝説から蛇崩れとなったとかいった説もありました。
河川愛護月間 川のパネル展 「失われた川 ー蛇崩川を探してー」新宿駅西口イベント広場 東京都建設局
右の写真の解説「うっそうとした緑道の中にあって、ひときわ目をひく二本の大樹」(駒沢中学校付近)