プロフィール
八幡中学校は昭和24年4月、田中貞造初代校長のもとに生徒数298名、職員7名で開校されました。創設当時は八幡小学校に併置されていましたが、7月に現在の地に新校舎が落成、 9月20日を開校記念日としています。
当時、九品仏浄真寺と校庭の間には池があり、貸しボートがありました。八幡中学校の校名の由来は慶応末期に、近くの奥沢神社(旧称、奥澤八幡社)の境内で寺子屋が開かれ、これが後の明治12年に八幡小学校となり、その八幡小学校で開校したことから名前がつけられたといわれています。
体育館校舎にあるモザイク壁画は、近くに鷺草園があり、奥沢城趾(現在の九品仏浄真寺)に育った民話「鷺草物語」の主人公「ときわ姫」にちなんだものです。
創立当時から続く生徒会誌「灯(ともしび)」は現在も続刊され、自主自立の精神を受け継ぐ生徒会活動も健在です。また、学校行事は盛んで、学校行事が生かされなければ、全人教育の目標である「八幡中の教育目標」が生かされるわけがないという伝統はいまだに生き続けています。
校章
八幡中学校の記章は |
校歌
- 作詞 福田 正夫
- 作曲 伊藤 完夫
- 編曲 山本 純ノ介
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「護持結身」塑像
作・澤田政廣(人間国宝 文化勲章受章者)
澤田氏43歳、昭和13年の代表作であり、ブロンズ像が澤田政廣記念美術館(熱海)に収蔵されている。本校開校記期に美術を担当した阿部不二夫教諭が当時地元に在住していた澤田氏に師事していた縁で澤田氏制作の石膏像が本校に寄贈された。 昭和57年(88歳)世田谷区名誉区民として顕彰された折、区教委に正式に登録し保存を図っていくこととした。 なお、自由ヶ丘駅前の「自由の女神」(ブロンズ像)は、昭和37年に建てられた氏の作品である。 |
壁画:常磐姫しらさぎ物語
画・田中正秋
昭和58年、体育館の壁画として制作された。奥沢城にちなむ伝説に常磐姫物語があり、世田谷のしらさぎ草から生まれた伝承物語である。 |