夏休み 8月8日(月)77年前の戦争を考える広島では、たくさんの人、国連総長も出席した平和記念式典、祈りの一日になりました。原爆に関するさまざまなテレビ番組もありましたがみましたか? さて、原爆を落とされた日本は、もう崖っぷちにたたされていました。 頼みの綱は当時のソ連。 しかし、ソ連は、イギリスやアメリカとヤルタ会談で、ドイツが降伏したあと、参戦すると密約をしていて、8日に日本に宣戦を布告したのです。。翌9日にはソ連軍機甲部隊が国境から南下を始め、またたく間に満州(現中国東北部)や朝鮮半島北部を制圧しました。 日本はソ連と満州国の国境地帯に、精強で知られる関東軍を置いていましたが、太平洋戦争も後半になると、関東軍主力は南方戦線に引き抜かれており、戦闘力は著しく低下していました。 若い男の人たちは兵隊にとられ、満州には開拓者としてたくさんの日本人がすんでいました。 宣戦布告後、国境からなだれ込んだソ連軍は圧倒的な兵力で関東軍の残置部隊を破った。日ソ戦の戦死者はソ連側推定で日本軍8万人、ソ連軍8200人とされています。 戦争が終わって、とらえられた日本兵は、そのままシベリアへ送られ多くの人たちが亡くなったのです。私は今、収容所から来た遺書(辺見じゆん著)を読んでいます。シベリア抑留中のお話です。 読めば読むほど、こんなことが起こっていたのかと恐怖と怒りがわいてきます。今年映画化されて公開が予定されているそうです。主演は嵐のメンバー二宮和也さんです。 興味があったら読んでみてください。 明日は、9日。長崎原爆の日です。 |
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