『富岳の眺め』No.83 余録
映画の中でこんなシーンがある。
甲子園のグラウンドに立った嘉義の選手たち。 彼らは甲子園の土の良質さに驚く。 地元の嘉南地方の土地は水に恵まれていない。 農林学校の選手たちだからこそ 農民たちの苦労を知っているのだ。 ここに一人の日本人が登場する。 八田 與一(はった よいち)。 土木技師。 彼が中心となって10年の歳月をかけ 嘉南の地にダムを建設し 灌漑(かんがい)施設を整備していく。 飲み水にも事欠く状況だった嘉南の地。 荒れ地の農作業に多大な苦労を強いられてきた。 ダムが完成し、水路に水が流れる。 農民たちは歓喜と感謝の声で八田を称える。 この灌漑施設の完成は 嘉義農林の甲子園出場前年の1930年だった。 今、嘉南の地は台湾でも有数の 穀倉地帯となっている。 映画ラストの監督の言葉には そんな意味も込められているのだ。 灌漑施設の中心である烏山頭ダム、 地元では今も八田ダムと呼ばれている。 |
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