今年の十二支は未(ヒツジ)!干支の中の十二支に「未(ヒツジ)」があります。十二支は、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の総称ですが、大変古い時代から伝わったと言われています。中国の名前だと「商」、あるいは「殷」の時代からとも言われます。陰陽五行説とも合わさって、様々な意味に受け取られています。 今回の未は「語源由来事典」によると 「未」は、『漢書 律暦志』では、「昧曖(まいあい)」の「昧」と記され、食物が茂って「暗い」、果実が熟した状態「味(み)」を指すと言われているそうです。 豊作への願いが込められているとも言われています。 八幡の皆さんにとっても、様々な意味で、豊作の年になりますよう願っております。 「東京市八幡尋常小学校」と改称八幡小学校が今の場所に移ったのはいつ?今から113年も前の事でした。 また、明治38年には、日露戦争の勝利を祝い、「誉れの桜」が校庭の真ん中に植えられました。これは運動会などでは邪魔になったとの記録が残っていますが、なかなか切ることはできなかったようです。 八幡小学校という名前になったのは、いつ?それは、今から130年ほど前のことです。 明治15年.12.20. 荏原郡奥沢村尾山村公立小学校、「八幡小学」となりました。 明治17年.12.20. 荏原郡奥沢村尾山村公立小学校、「八幡小学校」となりました。 明治17年.9.23. 村社八幡神社(現奥沢神社)隣地に校舎(草萱平家、2教室)新築。 その当時の校舎の図面です。 ユリオプスデージ−八幡小学校の創立!一番古いのは明治4年創立の若林小学校。 創立は明治12.12.20日で、「荏原郡奥沢村尾山村公立小学校」の「八幡小学校」として開校しました。 児童数30名 校舎49.5平方メートルで、村社八幡神社(現奥沢神社)の社寮を修理し、校舎(一教室)としたと言われています。 ずいぶん小さな学校だったのですね。 しばらくして改修した校舎の絵です。藁葺きの小さな校舎ですね。 ゼラニウム明けましておめでとうございます。 |
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