7月11日(木)〜13日(土)は学校公開期間です。

長崎原爆の日8月9日(日)

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朝日新聞の天声人語を紹介します。
「次は地方の小都市ではなく東京にすべきだ」。広島に原爆を投下した翌日、グアム島に駐留する米軍将校らから上がった。
そんな提言を。首都ワシントンは一蹴する。そして原爆は長崎に落とされた。
元徳山高専教授の工藤洋三さんらは、公開された米機密文書をもとに投下先が決まる過程を調べた。終戦の年4月時点では東京、横浜、大阪、下関など、実は17もの都市名が浮上していた。
「米軍が標的都市に欲しいのは。原爆の破壊力の確かめやすさ。通常爆弾を落とさず、無償のまま残しておくように命令がでました」。東京や大阪は大規模な空襲を受けたため、京都は歴史的な価値ゆえ、それぞれ候補地から外される
新潟はずっと有力とされていたが、基地から遠いうえ、河川にそって市街地が細長いため、結果的に標的とならなかった。広島に続く投下先として8月9日、米軍機が向かったのは、諸条件のそろった小倉である。だが、予想外の視界不良で、急遽長崎へ転じる。
機密文書をたどると、ながさきが標的に加えられたのは終戦まぎわの7月24日だった。そうした候補地の変遷を追えば追うほど深い無力感に襲われる。戦況の定まったある時期、あれほど非人道的な新型兵器を使う必要があったのか。二転三転ならぬ4転5転の果てに、まるで恣意的に選ばれた被爆地の無念を思う
きょうは長崎原爆の日。一瞬で失われた幾万もの尊い命を悼みつつ、戦争そのもののもつおぞましさをもう一度胸に刻みたい。
8月9日(日)朝日新聞朝刊より

長崎原爆の日8月9日(日)

今日も暑い一日でしたね。
広島原爆の日から三日後、長崎に原爆が落とされました。11時2分です。
75年たっても、原爆で家族を亡くされた人、被爆された人たちの悲しみや苦しみは消えないと。
考えれば考えるほど、核兵器は世界から消えて欲しいです。
ローマ教皇が昨年日本にきたときに、広島、長崎を訪ねられたときに、核兵器に頼る限り本当の平和は実現されないと言ってましたね。
原爆を落とされた日本だからこそ、世界に訴えていく義務があると、私は思います。
原爆でなくなった方々のご冥福をお祈りすると共に、恒久の平和を祈願します。
もう二度とこのような悲劇が起こらないように、起こさないように!!
加藤ユカ

部活動大会報告(野球部)5 8月9日(日)

保護者の皆さま、制限のある中応援ありがとうございます。いつも野球部を支えていただきありがとうございます。また、本日運営してくださった野球部関係者の皆さまありがとうございます。
たくさんの勇気と元気ももらいました。
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部活動大会報告(野球部)4 8月9日(日)

元顧問の沖山先生も応援にきてくさました。
ゲームセット、15対ゼロでコールド勝ちです。
お疲れさまでした。
3年生にとって、3年間頑張ってきた練習の成果が出し切れましたね。
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部活動大会報告(野球部)3 8月9日(日)

打って打って、どんどん点数が入っていきました。東深沢の選手も大きな声を出して、頑張っています。
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部活動大会報告(野球部)2 8月9日(日)

打っても投げても最高のプレーが見られました。
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部活動大会報告(野球部)1 8月9日(日)

弦巻中学校校庭で、野球部の3年生のための大会が開かれました。
11時30分から弦巻中学校対東深沢中学校で試合がはじまりました。
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部活動大会報告8月9日(日)

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卓球部3年生のための大会が開かれました。団体戦で、男子は東京都市大付属中学校、女子は砧中学校で行われました。
弦巻は、桜丘中学、駒留、三田国際中学で、リーグ戦を戦います。

部活動大会報告(卓球部男子)48月9日(日)

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桜丘中学校です。4人のチームで良く戦いました。
次の試合もがんばりましょう。

部活動大会報告(卓球部男子)38月9日(日)

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桜丘中学校です。

部活動大会報告(卓球部男子)28月9日(日)

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第一回戦は、桜丘中学校です。

夏休み部活動4 8月7日(金)

日曜日に野球部が弦巻中学校の校庭で試合です。卓球部も男女ともに団体戦が他校であります。3年生にとっては、最後の試合です。頑張れ!!
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夏休み部活動3 8月7日(金)

どの部活も、くつを整理整頓してくれてありがとう。いつも嬉しいです。練習がんばれ!!
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夏休み部活動2 8月7日(金)

校庭では、野球部、サッカー部が、体育館ではバスケットボール部が一生懸命練習をしています。
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夏休み部活動1 8月7日(金)

美術室では、美術の活動がありました。ポスター作りや看板づくり。みんな楽しそうでした。
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夏休み学校生活3 8月7日(金)

教室では、補充教室、校庭では、陸上部の活動がありました。暑い中、頑張って走っている陸上部の生徒たち。頼もしいです。
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夏休み学校生活2 8月7日(金)

この補充教室に参加して、夏休みの課題が終わった人もいるみたいです。お疲れさま。せっかくの学習習慣を夏休み期間も続けてください。
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夏休み学校生活1 8月7日(金)

前期補充教室最終日です。
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広島平和式典「平和への誓い」(全文) 8月7日(金)

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昨日8月6日、広島への原爆投下から75年の節目となる「原爆の日」平和記念式典が開かれました。広島市長の「平和宣言」に引き続き、子どもたちによる「平和への誓い」が読み上げられました。紹介します。
「平和への誓い」
75年は草木も生えぬ。」と言われた広島の町。
75年が経った今、広島の町は、人々の活気に満ちあふれ、緑豊かな町になりました。
この町で、家族で笑い合い、友達と学校に行き、公園で遊ぶ。
気持ちよく明日を迎え、様々な人と会う。
当たり前の日常が広島の町には広がっています。
しかし、今年の春は違いました。
当たり前だと思っていた日常は、ウイルスの脅威によって奪われたのです。
当たり前の日常は、決して当たり前ではないことに気付かされました。
そして今、私たちはそれがどれほど幸せかを感じています。
75年前、一緒に笑い大切な人と過ごす日常が、奪われました。
昭和20年(1945年)8月6日 午前8時15分。
目がくらむまぶしい光。耳にこびりつく大きな音。
人間が人間の姿を失い、無惨に焼け死んでいく。
町を包む魚が腐ったような何とも言い難い悪臭。
血に染まった無惨な光景の広島を、原子爆弾はつくったのです。
「あのようなことは二度と起きてはならない。」 
広島の町を復興させた被爆者の力強い言葉は、私たちの心にずっと生き続けます。
人間の手によって作られた核兵器をなくすのに必要なのは、私たち人間の意思です。
私たちの未来に、核兵器は必要ありません。
私たちは、互いに認め合う優しい心をもち続けます。
私たちは、相手の思いに寄り添い、笑顔で暮らせる平和な未来を築きます。
被爆地広島で育つ私たちは、当時の人々があきらめずつないでくださった希望を未来へとつないでいきます。
令和2年(2020年)8月6日
こども代表 広島市立安北小学校  6年 長倉 菜摘
      広島市立矢野南小学校 6年 大森 駿佑

夏休み学校生活5 8月6日(木)

今週の日に卓球部の3年生大会があります。頑張ってください。入場制限があるので、会場に応援にはいけませんが、応援しています。
西門に靴下がかたほう落ちていました。誰のかな?
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