新聞を読む 8月20日(木)
朝日新聞社が数年前に作成した「知る原爆」「知る沖縄戦」「知る水俣病」を送ってもらいました。ぜひ、みんなに読んでもらいたい新聞です。
お知らせ〜子ども食堂〜 8月20日(木)
こども食堂「おしゃべりブロッコリー」より、8月21日(金)午前11時〜12時まで、弦巻区民センター1階で100食お弁当を用意しています。幼児から高校生が対象となります。いつもは、子ども食堂として開催していますが、コロナの影響で食堂はしばらくお休みです。8月28日にもあります。お気軽に立ち寄ってください。なくなり次第終了するそうです。
今日の部活動2 8月20日(木)
鉄道研究部も活動中。この夏、調べたことを発表していました。日帰り鉄道旅行は、今年の夏は我慢ですね。
今日の部活動1 8月20日(木)
今日も午前・午後と部活動頑張っていました。午前中は陸上部・テニス部。男子テニス部の4人は、明日21日区民大会にダブルスで出場します。頑張ってください。
午後は、野球部。サッカー部が炎天下の中、頑張りました。 終戦75年を迎えて8月15日(土)令和になって2回目の追悼式です。コロナ禍で、出席者も限られた中、戦没者の方々に 75年という節目の年、本当なら東京オリンピック開催で、このこと自体かきけされてしまいそうで心配していましたが、こうしてみんながしっかりと考えさせてくれる時間になりました。 ドキュメンタリー番組では、先の戦争であらためてわかってきた事実が発表されたりしています。 政府の間違った判断や作戦により、どれだけの尊い命が犠牲になったか、今一度検証する必要があると思います。 今日終戦の日にあたり、今一度平和を願う気持ちを強くもち命の大切さについて考えてみましょう。 戦争を経験した方が、こんな風に言っていました。 戦争に向かう政府を止めることは難しい。だからこそ、戦争にならない社会を普段から一人一人が努力していくこと、戦争の惨禍を二度と繰り返さないと強く思い続けること、戦争をさせないという正しい行動をとっていくことが大切です。 コロナ禍での苦難な時にこそ、互いに協力しあい、命と向き合う大切な時間を、大切な人たちを思い過ごしていきたいですね。 ニュースで、原爆の図を描いた丸木いりさん、としさんの話をしていました。 コロナ禍で、美術館の存続が危なくなったときに、全国から寄付が集まったということ、若者たちに戦争を語り継いでいくための努力が紹介されていました。 ぜひ、私は弦中のみんなで埼玉県にある丸木美術館にいきたいと思っています。 令和2年8月15日 加藤ユカ 部活動8月12日(水)学校休業日があけて、また気合いをいれてがんばりましょう。 部活動8月12日(水)部活動5 8月12日(水)
サッカー部もまだ暑いので、教室でブラジル戦のビデオを真剣に見ていました。ちょうど、私が行ったときはメッシが得点を入れていたところです。明日からしばらくお休みになるので、今日も頑張りましょう。熱中症にならないように!!
部活動4 8月12日(水)
1年生の部員もたくさん入って、練習を頑張っています。ソーシャルでスタンスを意識して、練習をしていました。
部活動3 8月12日(水)
3年生の先輩も練習に一緒に参加していました。
部活動2 8月12日(水)
午後から、吹奏楽部の練習がはじまりました。今日、1年生は自分の楽器が決まるそうです。楽しみですね。
部活動1 8月12日(水)
今日は朝から陸上競技部の練習が校庭でありましたよく見ると、中学生に交じって、卒業生や中瀬古先生も走っていました。
部活動6 8月11日(火)
サッカー部は、涼しくなるまで、教室でサッカーの試合を真剣に見ていました。
部活動4 8月11日(火)
1年生も自分の楽器が決まって、練習を頑張っています。
部活動3 8月11日(火)
吹奏楽部は、やっと個人個人で楽器の演奏ができるようになりました。
部活動1 8月11日(火)
午前中美術部が活動しました。グループでの花壇の看板作りをしたり、個人でポスターを書いていたりしました。
部活動1 8月11日(火)
東京は朝から熱中症警戒アラート発表のため、校庭ではじめたテニス部も早めに終わりました。男子テニス部は、世田谷区民大会に出場し、第3回戦まで勝ち進んでいる生徒もいます。頑張れ!!
長崎平和記念式典 長崎市長あいさつ 8月11日(火)
8月9日「長崎平和記念式典」での長崎市長のあいさつ文を紹介します。ぜひ、この文章に刻まれた人々の思いを受け止め、コロナ禍の中で私たちができることにつなげてください。
とても長いですが、最後まで読んでください。 長崎市長「平和宣言」(全文) 私たちのまちに原子爆弾が襲いかかったあの日から、ちょうど75年。4分の3世紀がたった今も、私たちは「核兵器のある世界」に暮らしています。 どうして私たち人間は、核兵器を未(いま)だになくすことができないでいるのでしょうか。人の命を無残に奪い、人間らしく死ぬことも許さず、放射能による苦しみを一生涯背負わせ続ける、このむごい兵器を捨て去ることができないのでしょうか。 75年前の8月9日、原爆によって妻子を亡くし、その悲しみと平和への思いを音楽を通じて伝え続けた作曲家・木野普見雄さんは、手記にこう綴(つづ)っています。 私の胸深く刻みつけられたあの日の原子雲の赤黒い拡(ひろ)がりの下に繰り展(ひろ)げられた惨劇、ベロベロに焼けただれた火達磨(ひだるま)の形相や、炭素のように黒焦げとなり、丸太のようにゴロゴロと瓦礫(がれき)の中に転がっていた数知れぬ屍体(したい)、髪はじりじりに焼け、うつろな瞳でさまよう女(ひと)、そうした様々な幻影は、毎年めぐりくる八月九日ともなれば生々しく脳裡(のうり)に蘇(よみがえ)ってくる。 被爆者は、この地獄のような体験を、二度とほかの誰にもさせてはならないと、必死で原子雲の下で何があったのかを伝えてきました。しかし、核兵器の本当の恐ろしさはまだ十分に世界に伝わってはいません。新型コロナウイルス感染症が自分の周囲で広がり始めるまで、私たちがその怖さに気づかなかったように、もし核兵器が使われてしまうまで、人類がその脅威に気づかなかったとしたら、取り返しのつかないことになってしまいます。 今年は、核不拡散条約(NPT)の発効から50年の節目にあたります。 この条約は、「核保有国をこれ以上増やさないこと」「核軍縮に誠実に努力すること」を約束した、人類にとってとても大切な取り決めです。しかしここ数年、中距離核戦力(INF)全廃条約を破棄してしまうなど、核保有国の間に核軍縮のための約束を反故(ほご)にする動きが強まっています。それだけでなく、新しい高性能の核兵器や、使いやすい小型核兵器の開発と配備も進められています。その結果、核兵器が使用される脅威が現実のものとなっているのです。 “残り100秒”。地球滅亡までの時間を示す「終末時計」が今年、これまでで最短の時間を指していることが、こうした危機を象徴しています。 3年前に国連で採択された核兵器禁止条約は「核兵器をなくすべきだ」という人類の意思を明確にした条約です。核保有国や核の傘の下にいる国々の中には、この条約をつくるのはまだ早すぎるという声があります。そうではありません。核軍縮があまりにも遅すぎるのです。 被爆から75年、国連創設から75年という節目を迎えた今こそ、核兵器廃絶は、人類が自らに課した約束“国連総会決議第一号”であることを、私たちは思い出すべきです。 昨年、長崎を訪問されたローマ教皇は、二つの“鍵”となる言葉を述べられました。一つは「核兵器から解放された平和な世界を実現するためには、すべての人の参加が必要です」という言葉。もう一つは「今、拡大しつつある相互不信の流れを壊さなくてはなりません」という言葉です。 世界の皆さんに呼びかけます。 平和のために私たちが参加する方法は無数にあります。 今年、新型コロナウイルスに挑み続ける医療関係者に、多くの人が拍手を送りました。被爆から75年がたつ今日まで、体と心の痛みに耐えながら、つらい体験を語り、世界の人たちのために警告を発し続けてきた被爆者に、同じように、心からの敬意と感謝を込めて拍手を送りましょう。 この拍手を送るという、わずか10秒ほどの行為によっても平和の輪は広がります。今日、大テントの中に掲げられている高校生たちの書にも、平和への願いが表現されています。折り鶴を折るという小さな行為で、平和への思いを伝えることもできます。確信を持って、たゆむことなく、「平和の文化」を市民社会に根づかせていきましょう。 若い世代の皆さん。新型コロナウイルス感染症、地球温暖化、核兵器の問題に共通するのは、地球に住む私たちみんなが“当事者”だということです。あなたが住む未来の地球に核兵器は必要ですか。核兵器のない世界へと続く道を共に切り開き、そして一緒に歩んでいきましょう。 世界各国の指導者に訴えます。 「相互不信」の流れを壊し、対話による「信頼」の構築をめざしてください。今こそ、「分断」ではなく「連帯」に向けた行動を選択してください。来年開かれる予定のNPT再検討会議で、核超大国である米ロの核兵器削減など、実効性のある核軍縮の道筋を示すことを求めます。 日本政府と国会議員に訴えます。 核兵器の怖さを体験した国として、一日も早く核兵器禁止条約の署名・批准を実現するとともに、北東アジア非核兵器地帯の構築を検討してください。「戦争をしない」という決意を込めた日本国憲法の平和の理念を永久に堅持してください。 そして、今なお原爆の後障害に苦しむ被爆者のさらなる援護の充実とともに、未だ被爆者と認められていない被爆体験者に対する救済を求めます。 東日本大震災から9年が経過しました。長崎は放射能の脅威を体験したまちとして、復興に向け奮闘されている福島の皆さんを応援します。 新型コロナウイルスのために、心ならずも今日この式典に参列できなかった皆様とともに、原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、長崎は、広島、沖縄、そして戦争で多くの命を失った体験を持つまちや平和を求めるすべての人々と連帯して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることを、ここに宣言します。 2020年(令和2年)8月9日 長崎市長 田上富久 「平和の実現のために、戦後生まれの私たちは何をしていけばよいのだろうか」 長崎原爆の日8月9日(日)「次は地方の小都市ではなく東京にすべきだ」。広島に原爆を投下した翌日、グアム島に駐留する米軍将校らから上がった。 そんな提言を。首都ワシントンは一蹴する。そして原爆は長崎に落とされた。 元徳山高専教授の工藤洋三さんらは、公開された米機密文書をもとに投下先が決まる過程を調べた。終戦の年4月時点では東京、横浜、大阪、下関など、実は17もの都市名が浮上していた。 「米軍が標的都市に欲しいのは。原爆の破壊力の確かめやすさ。通常爆弾を落とさず、無償のまま残しておくように命令がでました」。東京や大阪は大規模な空襲を受けたため、京都は歴史的な価値ゆえ、それぞれ候補地から外される 新潟はずっと有力とされていたが、基地から遠いうえ、河川にそって市街地が細長いため、結果的に標的とならなかった。広島に続く投下先として8月9日、米軍機が向かったのは、諸条件のそろった小倉である。だが、予想外の視界不良で、急遽長崎へ転じる。 機密文書をたどると、ながさきが標的に加えられたのは終戦まぎわの7月24日だった。そうした候補地の変遷を追えば追うほど深い無力感に襲われる。戦況の定まったある時期、あれほど非人道的な新型兵器を使う必要があったのか。二転三転ならぬ4転5転の果てに、まるで恣意的に選ばれた被爆地の無念を思う きょうは長崎原爆の日。一瞬で失われた幾万もの尊い命を悼みつつ、戦争そのもののもつおぞましさをもう一度胸に刻みたい。 8月9日(日)朝日新聞朝刊より 長崎原爆の日8月9日(日)
今日も暑い一日でしたね。
広島原爆の日から三日後、長崎に原爆が落とされました。11時2分です。 75年たっても、原爆で家族を亡くされた人、被爆された人たちの悲しみや苦しみは消えないと。 考えれば考えるほど、核兵器は世界から消えて欲しいです。 ローマ教皇が昨年日本にきたときに、広島、長崎を訪ねられたときに、核兵器に頼る限り本当の平和は実現されないと言ってましたね。 原爆を落とされた日本だからこそ、世界に訴えていく義務があると、私は思います。 原爆でなくなった方々のご冥福をお祈りすると共に、恒久の平和を祈願します。 もう二度とこのような悲劇が起こらないように、起こさないように!! 加藤ユカ |
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