人見絹枝さんのこと校長講話と表彰がありました。 表彰は陸上部と男子テニス部です。 校長講話で「人見絹枝さん」についての話がありました。 日本では女子のスポーツに偏見があった昭和3年、 彼女は日本初の女子のオリンピック代表に選ばれます。 「女性が足を出して走るなどみっともない」と言われた時代。 そんな中でも彼女は偏見と戦いながら陸上での記録を更新していきます。 オランダ・アムステルダムオリンピックの代表に選ばれてからは 「金メダルがとれなければ日本に帰ってくるな」とまで言われます。 想像を絶するプレッシャーの中、オリンピックでは銀メダルを獲得し、 帰国後、女子スポーツ普及のために 全国各地を巡り、偏見と戦い続けました。 その無理がたたり、オリンピックから3年後、 24歳の若さでこの世を去ります。 今、当たり前のように性別にかかわらず 誰もがスポーツをできることに感謝し、 4日後の運動会への成功につなげていきましょう。 最後に、女子スポーツ普及のため、 全力を傾けた人見絹枝さんの言葉を紹介します。 いくらでも罵(ののし)れ! 私はそれを甘んじて受ける しかし、私の後から生まれてくる 若い女子選手や 日本女子競技会には 指一つ触れさせない |
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