『お知らせ・トピックス』のコーナーでは、「今日のできごと」や「おしらせ」、「校長室より」など更新された順に砧中の様子を紹介しております。それぞれの記事をご覧になる場合には、左欄のカテゴリのタグから項目をお選び下さい。

校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.129

No.129【しずかなること】

私が教師になって2年目のこと。
全校朝礼での整列役を任された。
朝礼が始まる前に
他の教師より先に体育館へと向かい
ステージ上で号令をかけて
生徒たちを静かにさせる役割だ。

しかし簡単な仕事ではなかった。
「静かにしなさい!」
どれほと声を張り上げても
何度繰り返しても
私語は延々と続くのだ。
中にはニヤニヤ笑いながら
私を無視する生徒までいた。

しばらくすると
生活指導主任の教師がやって来る。
その姿を見た途端、
先ほどまでの騒々しさが嘘のように
生徒たちは急に大人しくなる。

私は全校朝礼のたびに
無力感に打ちのめされていた。

🎤

当時「ニュースステーション」という
報道番組が高い視聴率を誇っていた。
司会はフリーアナウンサーの久米宏さん。
様々なニュースに対して
切り口鋭いコメントが人気を博していた。

私もほぼ毎日、その番組を観ていた。
司会の久米さんが何を言うのかで
ニュースの印象が大きく変わるのだ。

ある日のこと。
汚職事件のニュースが流された。
そのニュースの後、
カメラは久米さんをアップにした。
「何を言うのか?」
私は興味津々でテレビ画面を観る。
しかし、久米さんは何も言わない。
腕組みをしたまま沈黙を続けている。
私は釘付けとなっていた。
その沈黙はとても長く感じた。
そして、久米さんがついに口を開いた。

「次のニュースです」

コメントは無かった。
しかし、コメント以上に
その沈黙は多くを語っていた。
「怒り」という無言のメッセージを。

📺

次の全校朝礼の時。
私はいつものようにステージに上がった。
相変わらず騒々しい生徒たち。
しかしその日、私は心に決めていた。
あえて沈黙を貫き通すと。

黙って生徒たちの方を見つめる。
騒々しさはすぐには収まらない。
私は我慢する。
ここで何かを言うと、いつもと同じだ。
久米宏さんのイメージを頭に浮かべる。
長い時間が流れたように感じた。

ふと気がつくと
生徒たちが私を見ている。
いつの間にか騒々しさが弱まっていた。
お互いつつき合いながら
私を指さしている。
しばらくすると体育館が静かになっていた。
私が何を言うのか
生徒たちが待っているのだ。

私は生徒たちに一言だけ語った。

「次は朝礼です」

校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.128

No.128【共に立つ】

1968年4月 アメリカ
人種差別撤廃を求めて
公民権運動の先頭に立っていた
黒人指導者キング牧師が凶弾に倒れる。
その半年後、
メキシコでオリンピックが開催された。

陸上男子200メートル
圧倒的強さを誇るアメリカの選手たち。
特にトミー・スミスとジョン・カーロスの
黒人2選手は群を抜いた記録を持ち
金銀は間違いなしと見られていた。

決勝の走りで
金メダルに輝いたのはスミス。
銅メダルにはカーロス。
そして銀メダルを獲得したのは
世界的には全く無名の
オーストラリアの白人選手
ピーター・ノーマンだった。

🥇

事件は表彰式で起こった。
メダルを首にかけられ
アメリカ国歌が場内に流れ出すと
金と銅のスミスとカーロスが
突然、黒手袋の拳(こぶし)を
高々と突き上げたのだ。
胸には人権バッジが付けられていた。
黒人の人権を世界中に訴える
二人の願いが込められていた。

そして、銀メダルのノーマンの胸にも
同様に人権バッジが付けられていた。

なぜ白人のノーマンもバッジを付けたのか。
表彰式前にスミスとカーロスの
決意を知ったノーマンは
自らスミスとカーロスに協力を申し出た。
「君たちと共に立ちたい」

しかし、当時の世界情勢は
三人の行動を許さなかった。
オリンピックを政治利用したとして
スミスとカーロスは
オリンピックから永久追放となる。

そして、ノーマンもまた
黒人選手の行動に賛同したとして
母国オーストラリアで非難を浴びる。
その後、選手としての出場の機会を
永遠に奪われることになったのだ。

🥈

それからしばらくしてアメリカでは
黒人の人権を守る機運が高まり
スミスとカーロスはコーチとして
陸上界への復帰を果たした。

しかし、オーストラリアのノーマンは
その名誉を回復することなく、
2006年、失意の中でその生涯を閉じる。
享年64歳。

かつての銀メダリストとしては
あまりにも寂しい葬儀の参列者の中で
ノーマンの棺(ひつぎ)を担いだのは
アメリカから急きょ駆けつけた
スミスとカーロスだった。
三人の友情はその後も続いていたのだ。

🥉

アメリカ、サンノゼ州立大学。

スミスとカーロスの偉業を称(たた)えて
表彰台に立つ二人の銅像がそこにある。
二人の姿は拳を高く突き上げ、
黒人の人権を今も世界に訴えている。

しかし、ノーマンの姿はそこにはない。
その空席の場所には
こんなメッセージが記されている。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ピーター・ノーマンは共に立った
どうかあなたも ここに立ってほしい
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


《参考》
NHK BS『映像の世紀プレミアム』
(2020年6月20日放送)

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校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.127

No.127【バスに乗る】

富岳の眺めNo.104(2020.1.3)で
THE BLUE HEARTS『青空』を紹介した。

🎵
生まれたところや
皮膚や目の色で
いったいこの僕の
何がわかるというのだろう
🎵

アメリカで起きた
警官による黒人男性死亡事件。
世界中で人種差別に反対する運動が
今、大きなうねりとなっている。

🗽

1955年12月、
アメリカ アラバマ州モンゴメリー市。
一人の黒人女性が警察に逮捕された。
白人にバスの座席を譲らなかったためだ。

当時の法律では
バスの中での座る場所は
白人と黒人で分けられていた。
またバス内が混雑している時は
黒人は白人に席を譲ることになっていた。
女性はそれを拒んだのだ。

女性の名前はローザ・パークス。
この逮捕をきっかけとして
黒人たちはバスをボイコットする。

その運動の先頭に立ったのが
26歳の若きキング牧師である。
ボイコット運動は
数々の妨害にも関わらず
11ヶ月間続いた。
仕事場まで何キロも歩き続ける人々。
モンゴメリー市のバス事業は
乗客の激減により経営が厳しくなり、
ついにバス内の差別を撤廃する。

これまで白人優先だったバスの前方席。
その席に座り、笑顔を見せる黒人たち。
その後、全米に
人種差別の撤廃を求める
「公民権運動」が広がっていく。

🇺🇸

2020年6月
平和的に問題を解決しようと
人種を越えてデモ行進する人々。
かつてバスをボイコットして
歩き続けた人々と重なる。

人の心を動かすのは
暴力では決してない。
信じるもののために
歩き続けるその姿であり、
音楽に込めたメッセージなのである。


最後にもう一度『青空』の歌詞から。

🎵
運転手さん、そのバスに
僕も乗っけてくれないか
行き先ならどこでもいい

こんなはずじゃなかっただろ
歴史が僕を問いつめる
まぶしいほど
青い空の真下で
🎵

校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.126

No.126【『昨日』は大人のしたこと】

昨年9月
私はある演説に衝撃を受けた。
グレタ・トゥンベリさん(16)による
国連気候変動サミットでの訴えである。

「私たちはあなた方を見ている」

気候変動という環境危機に無策だった
大人世代に投げかけた彼女の怒りは、
未来に対する無責任さを
厳しく指摘するものだった。

私はその演説映像を見ながら
二十数年前、社会科授業で取り上げた
一人の少女のことを思い出していた。

🌎

坪田愛華さん
島根県に生まれた彼女は
1991年当時、小学6年生。
環境問題を調べる学校の課題。
彼女は自分で調べた成果を
得意の漫画で表現しようと考え、
2ヶ月かけて作品に仕上げた。
しかしその完成から数時間後、
突然、脳内出血で倒れ、
その短い生涯を閉じることになる。
享年12歳。

彼女の遺(のこ)した作品を
両親は自前で50部印刷をして
同級生や先生に配ることにした。
その後、この作品の素晴らしさが
次第に多くの人々に感動を与え、
英語や中国語などにも翻訳される。
1993年、国連環境計画での
受賞をきっかけとして
世界中のマスコミで話題となった。

『地球の秘密』(坪田愛華 作)

敬遠されがちだった環境問題を
子どもにも大人にもわかりやすく、
そして自分の問題として考えさせる、
今も色褪(あ)せないメッセージ。

改めてその作品を読み直し、
21世紀の今もまだ
彼女の訴えに答えられていない
大人世代として恥ずかしさを覚えた。

「愛華はこの作品のために生まれてきた」
当時の母親の言葉が胸を打つ。

日常に様々な制限がある今だからこそ
便利さに慣れた生活を
見直す機会にしたいと心に誓う。

〜 愛華さんのメッセージから 〜

『昨日』は大人のしたこと
『明日』は子供のすること

缶を捨てるのは『過去』
拾うのは『未来』

缶を捨てる軽さと
缶を拾う重さを考えよう
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校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.125

No.125【伝えたいメッセージ】

3ヶ月にも及んだ休校期間。
様々な人たちが
様々な手段を使って
様々な発信を行った。
その多くは励ましのメッセージ。
休校期間中の子どもたちに向けても
たくさんのメッセージが送られた。

個人的な意見となってしまうが
数々のメッセージの中で
違和感を覚えた言葉があった。
それは…
「ピンチをチャンスに」だった。

なぜ違和感を覚えたのか?

昨年度このコラムでも書いた
頑張っている人たちに
更に「頑張れ」と伝える、
そんなイメージに近かったからだ。

砧中の生徒たちは
3ヶ月間、本当に頑張った。
予定されていた活動が中止となり、
友だちに会うこともできず、
学習の機会も減少した。
それでも登校日に出会うと
笑顔であいさつをしてくれた。

「いろんな事ができずにごめんね」
そう声をかけると
「大丈夫です、頑張ります」
と答えてくれた。
その言葉に大人の方が励まされてきた。

だからこそ6月の学校再開時に
まずはじめに伝えたかったのは
「活動の機会が無くなりごめんなさい」
そして
「協力してくれてありがとう」だった。

大人だってこの先どうなるかわからない。
「ピンチをチャンスに」は
自分が自分を励ます言葉であって
誰かからの言葉ではないような気がする。

「頑張れ」も同じ。
頑張っている時に
「頑張れ」と言われると
「頑張ろう」と思える時もあれば
「これだけ頑張っているのに」と
逆に気持ちが後ろ向きになることもある。
言葉の受け止め方は人それぞれ。
伝える側も意識しなければ、と思う。

だからこそ、
再開時に伝える言葉は悩みに悩んだ。
そして、ある歌を思い出した。
2011年 東日本大震災。
多くの被災者を出した福島県いわき市。
災害後にその町を訪れ
地元の音楽ユニット「花音」が歌う
「Tear of earth」という曲に出会った。

その歌詞に込めたメッセージが
2020年の今もまた私の心に響いた。

花音で「Tear of earth」
お聴きください。


校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.124

No.124【未来を生きる】

1970年 大阪万博での思い出。

来場者でごった返す万博会場で
8歳の私は迷子になった。
不安と恐怖が私を押しつぶす。
その時、人混みをかき分け
父が駆け寄って来た。
私と目が合う。
怒られるのかと身構える私に
その眼差しは優しく微笑んでいた。

大阪万博の思い出は
今は亡き父との思い出でもある。

🚸

「クレヨンしんちゃん」に涙したのも
そんな遠い日の思い出のせいだろう。
映画『オトナ帝国の逆襲』(2001年)。

ある日突然、秘密組織によって
春日部に住む大人たちが操られ、
心が子供の頃に戻ってしまう。
大人たちは家族や仕事を忘れ、
子供の遊びに熱中する。
しんちゃんをはじめ子供たちは
大人たちを思い出の世界から
現実の世界に引き戻すために
秘密組織との戦いに挑むのだ。

しんちゃんの父、ひろし もまた
子供時代の思い出にとらわれている。
幼き頃の懐かしい匂いに心を奪われ、
大阪万博をイメージした
「20世紀博」へと入り浸(びた)る。
家族と訪れた懐かしいあの場所。
そう、過去は常に美化されている。

そんな父を我に返らせようと
しんちゃんは父の靴を脱がして
その臭いをかがせるのだ。
父がこれまで歩んできた道のり。
来る日も来る日も
家族のために仕事で歩き回り
残業で夜遅く帰宅した後の
靴の臭いに自分を取り戻していく。
その回想シーンに
父ひろしと同世代の私の目も潤む。

👟👟

過ぎ去った日々は決して戻らない。
二度と戻らない日々だからこそ
私たちはつい、すがろうとしてしまう。
社会が変わろうとしている今もまた
「あの頃は良かった」と
過去を振り返り、戻りたくなる。
それでも私たちは
今を、そして未来を
生きていくしかないのだ。

映画の中で
父ひろしが最後に叫ぶ。
「俺は家族と一緒に未来を生きる」と。

今を、そして未来を懸命に生きてこそ
思い出は遠く離れた記憶の彼方から
私たちをそっと見守っていてくれる。

懐かしさとはもしかしたら
そんな遠い過去からの
優しい眼差しなのかもしれない。

校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.123

No.123【「ペスト」を読む】
※ ネタバレ注意

カミュの小説「ペスト」を読んだ。
本の題名は昔から知っていたものの
これまで一度も読んだことがなかった。

恥ずかしながら私は
中世ヨーロッパの話だと思っていた。
舞台は1940年代のアルジェリア。
それ程遠い過去の話ではない。
だからこそ登場人物たちの思いが
現代の私たちにも自然に伝わってくる。

物語は主人公の医師が
ある朝、一匹のネズミの死骸(しがい)を
偶然目にするところから始まる。

「何かが起きている・・」

人は心のどこかで違和感を覚えながらも
何事も無かったかのように
日常生活に戻ろうとする。
そして問題に気がつかなかったと
自分に思い込ませようとする。
その問題に向き合うことが恐いから。

ペストが蔓延(まんえん)し、
自分の身近に問題が起きて初めて
人はパニックに陥るのだ。

小説の登場人物たちの言動は
カミュが予見していた通り
今まさに、世界の現実となった。

物語の後半、
感染者の数が減少に転じ、
人々の間に安堵の気持ちが戻ってくる。
そんな中、一人の主要人物が発症する。
彼は病魔と壮絶に戦い、
力尽きて息を引き取るのだ。
その頃、町では
祝賀行事が催されている。
ついにペストに打ち勝った、と。

今、私たちもまた
感染者数が減少傾向の中にある。
私は想像を巡らせた。
そして身震いした。

ある日テレビのニュースが報じる。
「今日の感染者数は
ついに一人となりました!」
もしもその一人が
小説の登場人物と同じように
自分であったとしたら・・・。

校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.122

No.122【人生最良の映画とは?】

子どもの頃、暇さえあれば通った
駅裏に立っていた古い映画館。
満席になった記憶は一度もない。
時には観客は私一人のことも。
それでも寂しいとは思わなかった。
誰憚(だれはばか)ることなく、
笑って泣けるから。

暗幕をくぐり、客席へと入る。
館内の照明が落とされ、
私は別世界へと誘(いざな)われる。
何度も想像を巡らせた。
あの光線が放たれている
映写室はどんな場所なんだろうと。

📽️

原田マハさんの小説
『キネマの神様』を読んだ。
多くの映画館が休業となり、
自宅で映画を観るようになった。
そんな今だからこそ
この小説は私の心を揺さぶった。

魅力的な登場人物たち。
それぞれが筋金入りの映画ファン。
特に主人公のゴウは
齢(よわい)80歳にして
ギャンブル好きで借金まみれ。
家族からも見放されかかっている。
それでも人一倍の映画への愛情が
その後の奇跡を呼び起こすことになる。

この小説は映画化され
今年12月に公開予定だった。
主人公ゴウには志村けんさん
…… のはずだった。

改めて胸が痛む。


小説を読み進めながら
子どもの頃に通った
あの駅裏の古びた映画館が
私の心を過(よぎ)っていた。
今はもう駐車場になっている
あの映画館の数々の情景が。

消えゆく町の小さな映画館。
それでも、あの日あの場所で
笑い、涙した映画の思い出は
消えることのない心の中の宝物。

小説の終盤に紹介される
映画を愛するキネマの神様たちが
全員一致で認めることとなった
「人生最良の映画」とは…… ?

神様たちの足元にも及ばない私でさえ
小説の読後にはその選択に納得した。
まさにその映画こそ
「人生最良の映画」だと。

このコラムを読みながら
その映画のタイトルに
既にお気づきのあなたもまた
"キネマの神様” の一人かもしれない。

校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.121

No.121【100歳のアイドル】

アイドル全盛の1990年代、
突然、日本中の人気者となった
双子のおばあちゃんがいた。

きんさん、ぎんさん 共に100歳。
テレビCM出演をきっかけとして
またたく間に視聴者の心をつかんだ。
二人の勢いは止まらない。
CDデビュー、写真集発売、
紅白歌合戦ゲスト出演などなど、
まさにアイドル並みの大活躍。

お二人の魅力はその年齢だけではなく、
タレント顔負けのアドリブにある。
「テレビ出演料は何に使いますか?」
こんな質問を受けたお二人の答えは…

「老後の蓄(たくわ)え」

高齢化を迎えた日本社会に
お年寄りの理想像を示したのだ。
視聴者はお二人の姿に
元気と笑顔をもらった。
名言も数々ある。
そのうちの私が好きな言葉。

「顔のしわは増えても
心のしわを生(は)やしちゃいかん」

私がお二人に魅力を感じたのは
そのエネルギッシュさだけではない。
生まれたのは1892年(明治25年)。
お二人がテレビで語る思い出話は
まさに教科書の中の歴史。
日露戦争時に見かけた
ロシア兵の話などは
社会科の授業で使えないかと
真剣にメモしたことを憶えている。

社会が停滞し始めた1990年代を
日本中を元気にしながら駆け抜け、
お二人は天寿を全うされた。
きんさん、107歳
ぎんさん、108歳。


なぜ、今回このコラムで
お二人を取り上げたのか?

感染症問題に苦しむ今の社会に向け
苦難を乗り越えたお二人なら
どんな言葉を話されるのか、
私はふと聞いてみたくなったのだ。

以前、ぎんさんの五女が語っていた。
戦争中、娘ばかりのぎんさん家族は
世間から白い眼で見られたという。
「兵隊に出せない家は
お国の役に立っていない」と。

近所から嫌がらせを受ける中で
それでもぎんさんは黙って耐え続けた。
娘たちには名古屋弁で
こう話したと言う。

「悪いのはあの人たちでにゃあ、
戦争だがね」

校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.120

No.120【"ONE TEAM”の行方】

ラグビー人気の影響で
つい数ヶ月前まで
"ONE TEAM”という言葉が
社会全体にあふれていた。

私自身、この言葉が嫌いではない。
ただ敢えて使わないようにしてきた。
日本代表にとってのその言葉を
私が自分の言葉として
使うだけの自信が無かったからだ。

"ONE TEAM”
みんなが一つのチームとなる、
それは決して簡単な事ではない。
立場や考え方の違いから
人は何度も衝突を繰り返す。
難しいのはその衝突の結果、
一つになれない事の方が多いのだ。
場合によってはその衝突が嫌で
目を逸(そ)らそうとしてしまう。

衝突に何度も傷つきながら
それでも逃げることなく
結果を出した人たちだからこそ
"ONE TEAM"を使えるのではないか。
私にはラグビー日本代表が
結果を出すまでの苦しみを知らない。
だからこそ自分の言葉として
使うことを避けてきた。

🏈

まだ学級担任となって間もない頃、
私の学級ではクラス目標として
「一致団結」を掲げていた。
教室前面には毛筆で書かれた文字。
行事では横断幕にも使っていた。

私も事あるごとに
生徒たちをこの目標で鼓舞(こぶ)した。
「一致団結、みんなの心は一つだ」と。

ある日の学活でのこと。
一人の男子生徒が突然手を挙げた。
その生徒は思いもよらない提案をした。

「クラス目標をやめませんか?」

ざわつくクラスメイトたち。

彼の主張は続く。
学級が一つにまとまっているようで
実はそうではないことが沢山ある。
陰口もある、嫌がらせもある。
みんなその事を知っていながら
一致団結している気になっている、と。

彼は最後に私に向けて言った。
「一致団結は簡単な事ではない」

私は学級担任として
「一致団結」という言葉の重みを
生徒から教わったように思っている。

🏫

今、社会が危機に直面している。
ネット上では攻撃的な言葉があふれ、
相手の立場を理解することもなく、
一方的な非難が繰り返される。
自分とは違う考えや行動に対して
寛容(かんよう)さが失われている。

それでも信じたいと願う。
多くの衝突を繰り返して
この危機を乗り越えた時に
私たちが本当に自分の言葉として
”ONE TEAM"を使える日が
必ず来ることを。

校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.119

No.119【彼女が泣いた理由】

私が小学校高学年だった頃
毎朝教室で、同級生による
おすすめの本を紹介する時間があった。

ある日、クラスメイトの女の子が
みんなの前で一冊の本を紹介した。
私はそれほど関心も持たずに
ぼんやりとその紹介を聞いていた。

紹介がそろそろ終わりに近づいた時
突然、その女の子が声をつまらせた。
何事が起きたのかと
クラスメイトたちはざわついた。
私も思わず彼女の方を見た。
本の紹介の途中で
彼女が泣き出したのである。
紹介は途中で中断された。

「なぜ泣いたのだろう?」
私は彼女が泣くほどのその本に
急に興味がわいてきた。

📕

ネット全盛の今、
何かを調べようと思うと
すぐにスマホで検索してしまう。
そして、興味を持った事項を
同じワードで繰返し検索していると
そのワードに関連した情報が
次から次へと画面上に表示されてくる。

ネット検索を通じて情報を集め
自分の世界を広げているつもりでも、
実はコントロールされた情報の海の中で
ただ泳いでいるだけなのかもしれない。


脳科学者の中野信子さんによると
自分の知りたい情報だけに触れ、
それに満足していると
脳は老化を早めるそうだ。
自分とは異なる考え方を知り、
普段は体験しない体験をすることが
脳の活性化には重要なのだと言う。

例えば普段は通らない道を歩いてみる。
例えば新しい料理に挑戦してみる。
慣れ親しんだ体験は安心につながる。
しかし、いつもとは違う体験を通じて
脳に一定の負荷をかけることも
私たち人間には必要不可欠らしい。

読書体験も同じ。
今まで興味のなかったテーマの本を
あえて読んでみることで、
これまで想像もしていなかった
新たな世界が開けてくる。

📱

小学校高学年の私。
女の子が紹介した本の内容が
どうしても気にかかり
その日の放課後、図書室へと向かった。

その本…… 背表紙でタイトルを探す。

あった!

本棚の片隅に
探していた本を見つけた。
これまで何度か目にしながら
手に取ることのなかったその本。

『アンクル・トムの小屋』

私は彼女が泣いた理由が知りたくて
その本を借りて家路へと急いだ。


それから数日後のこと。
自宅の部屋で本を読み終えた私は
涙でぐしゃぐしゃになりながら、
その本を閉じたのである。

校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.118

No.118【それは誰のせい?】

私が中学生の頃、
ある迷信に怯(おび)えた時期があった。
きっかけは些細な出来事だった。

登校途中、私の前を
一匹の黒猫が通り過ぎたのだ。
その時、以前何かの雑誌で読んだ
迷信に関する記事が頭をよぎった。
西洋では黒猫が目の前を横切ると
不吉な事が起きる前兆であると。

そして、まさにその日
授業で返された数学のテストが
予想に反してひどい点数だったのだ。

私の中で二つの出来事が結びついた。
それ以降、登校時に黒猫を見かけると

〜 今日は何か不吉な事が起きる 〜

そう信じ込むようになっていった。


この西洋の迷信の由来は
今から400年前に遡(さかのぼ)る。
ヨーロッパで災害や凶作、
そして伝染病などの社会不安が広がると
悪魔に魂を売った魔女が原因とされた。
隣人の密告などで魔女とされた無実の人は
拷問によって強制的に魔女だと自白させられ、
火あぶりなどで処刑されていった。
犠牲者の数は6万人とも言われる。

そして黒猫はその魔女の使いとして
一部の地域では不吉な動物とされてきた。

災害や凶作、伝染病と
魔女や黒猫の間には何の因果関係もない。
しかし、社会不安などにより
心理的にも余裕がなくなってくると
人間は非科学的ものでも信じようとする。
何かのせいにすることで
一時的に自分を安心させようとするのだ。

中学生の私が自分の努力不足を
黒猫が横切ったせいにしたように。

🐱

実は日本では江戸時代から
黒猫は「あんこ猫」と呼ばれ、
幸せを招く動物として
大切にされてきた歴史がある。

残念ながら私は
自分の住む国よりも
西洋の迷信の方を信じたようだ。


明治の文豪、夏目漱石。
ある日、漱石の自宅に
一匹の黒猫が迷い込んできた。
黒猫はそのまま家に居着き、
家族もその黒猫を可愛がった。

漱石はその黒猫を題材に小説を書く。
名作『吾輩は猫である』の誕生である。

漱石も家族も、
黒猫が亡くなるまで大切に育て
亡くなってからもその墓には
好物の鮭の切り身を供え続けたと言う。

名前はまだ無い、その黒猫の言葉から。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
人間というものは
自分で勝手に想像して
自分で勝手に苦しんでいる者たちだ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(現代語訳)

校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.117

No.117【数字が示す真実】

『記者たち〜衝撃と畏怖の真実』
2019年公開の実話に基づく映画である。

2006年 アメリカ合衆国。
車椅子に乗った一人の若き兵士が
イラク戦争について議会で証言をする。
彼は原稿を読むことを途中でやめ、
戦争の現状を数字で説明し始める。

【140万】
現在、軍務に携わっている者の数

【555】
アメリカがテロ攻撃を受けてから
イラクを攻撃するまでの日数

【19】
自らが戦争に志願した時の年齢

【3】
自分がイラクに到着してから
爆撃を受けるまでの時間

【6】
自分の脊髄(せきずい)を切断した
爆弾の破片の長さ(インチ)

🗽

2001年 アメリカ同時多発テロ発生。
国民の間でテロに対する不安が高まる。
その不安や怒りを背景に
政府はテロ集団を支援する国家として
イラクを名指しする。
イラクには大量破壊兵器がある、と。

アメリカのマスコミも、そして国民も、
イラクへのアメリカ軍侵攻を支持する。
先に攻撃しなければ、
再び攻撃されるのではという不安感。
そんな中、無名のある新聞社だけが
政府の方針に反対する記事を書く。

イラクには本当に大量破壊兵器があるのか。
もしそれが真実でないとしたら
多くの命が意味も無く失われるのではないか。
しかし、テロ攻撃受けた直後のアメリカでは
憎しみが社会全体を覆(おお)っており、
この新聞社の主張は一切受け入れられない。

ナイト・リッダー社
ただ一社のみ戦争反対の記事を
発信し続けた新聞社である。

2003年、アメリカ軍、イラクへ侵攻。


社会に不安が広がり始めると
人は確かな根拠が無くても
もっともらしい言葉を信じようとする。
外部に敵をつくることで
自分たちの結束を高めようともする。

感染症不安が広がる現在もまた、
私たち一人一人の人間性が試されている。

🗽

イラク戦争の現状を表す数字は続く。

アメリカが紛争地で戦い続けている年数
【17】

イラク戦争でかかった戦費(ドル)
【2兆】

イラク戦争でのアメリカ人の死傷者数
【3万6000以上】

イラク戦争でのイラク人の死傷者数
【100万】

イラクで発見された大量破壊兵器の数
【0】
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5 6 7 8 9 10 11
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