『お知らせ・トピックス』のコーナーでは、「今日のできごと」や「おしらせ」、「校長室より」など更新された順に砧中の様子を紹介しております。それぞれの記事をご覧になる場合には、左欄のカテゴリのタグから項目をお選び下さい。

校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.83

〜 監督、帰ったら大勢で迎えてくれるのか、
 がっかりした人を見るのか、どっちでしょうね? 〜

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1931(昭和6)年、甲子園球場。
第17回全国中等学校野球(現:高校野球)大会に
台湾代表の嘉義(かぎ)農林学校が初出場を果たした。
当時、台湾は日本の統治下にあった。

前年までは台湾での予選で
1勝すらしたことのない弱小チーム。
しかし新たに日本からきた近藤兵太郎監督は
台湾、中国、日本それぞれの民族の持ち味を生かし、
混合チームとして強化していく。
走力、打力、そして守備力と
それぞれの特技を最大限発揮させたのだ。

「農業の勉強もしないで」と嘉義の人たち。
それでも懸命に練習を繰り返す選手たちの姿に
次第に町をあげて応援するようになっていく。

そして嘉義農林は台湾予選を勝ち進み
ついに憧れの甲子園の切符を手にしたのである。


甲子園でのマスコミの反応は冷ややかだった。

「混合チームでどうやって会話するの?」
心ない質問が投げかけられる。
野球の実力には関心を持ってくれない。
なぜならそれまでの台湾代表チームは
全て日本人で構成されていたのである。

しかし、大会が始まると
嘉義農林は快進撃で勝ち進む。
甲子園のファンたちも
その真剣な戦いぶりに
次第に嘉義農林を応援するようになっていく。

彼らのユニフォームには「KANO」の文字。
まさに「KANO」旋風が甲子園を席巻(せっけん)する。
そして嘉義農林はついに決勝戦へと進出する。
決勝戦の相手は全国No.1の愛知県代表中京商業。

それまでの激戦の中で
嘉義農林の選手たちは既に満身創痍(まんしんそうい)。
最後まで粘ったものの力及ばず敗れる。
それでも甲子園の観客は嘉義農林の選手たちに
惜しみない拍手を送る。

甲子園は今も昔も敗者に優しい。

1931年のこの年、
甲子園で準優勝した嘉義農林の選手たち。

後に、ある者は日本の野球界で活躍し、
ある者は台湾で野球の普及に尽力した。
そしてある者は太平洋戦争に召集され、戦死している。

戦前から戦後にかけて、
甲子園のファンの間では
「KANO」の躍進は語り草になったという。

  ⚾    ⚾    ⚾    ⚾

1931年、全国準優勝した選手たち。
甲子園から台湾へと戻る船の中でのこと。
エースの呉明捷選手が
近藤監督に問いかける。

〜 監督、帰ったら大勢で迎えてくれるのか、
 がっかりした人を見るのか、どっちでしょうね? 〜

監督が静かに答えた。

〜 きっと見渡す限り、
 風にたなびく黄金の稲穂が迎えてくれるさ 〜


※参考:台湾映画
   『KANO 1931海の向こうの甲子園』(2014年)

※「コラム」欄に「余録」を掲載しました。
最後のセリフの背景がわかります。

校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.82

『富岳の眺め』No.52で紹介した無人古書店。
  (2018年度1月14日up)

その無人古書店を運営されている方が
新たに本屋を開店したという新聞記事を読んだ。
名付けて「ブックマンション」。
簡単に言うとレンタルボックスの本屋版らしい。

店内に78個ある本棚を
本屋をやってみたいという人に貸し出す。
1個の本棚を借りた人は
「店主」として自分が売りたい本を並べられる。

その本棚にはそれぞれに「店名」がある。
「トビラ書店」や「歴史棚」など。
「店主」は毎月本棚レンタル代と
一冊本が売れるたびに
100円を運営者に支払うというシステム。

誰でも手軽に本屋を開店できるのだ。

つまり「ブックマンション」の中には
78のお店(本屋)があるということになる。

興味がわいた私は、早速その店を訪ねてみた。
吉祥寺駅北口から徒歩5分。
道路に面したビルの半地下にその店があった。

運営(発案)者の中西功さんと
直接お話することができた。

「本屋を増やしたいんです」
と語る中西さん。

「一人で本屋をやるのは
 ちょっと自信がないという人も
 みんなとやるなら
 やってみようと思うでしょう」
それが発案のきっかけだそうだ。

無人古書店のアイデアも
もともとは無人野菜販売からのもの。
その着想のユニークさに感心する私。
一人だとお店を出す勇気がなくても
みんなと一緒なら一歩踏み出せる。

自分のお薦(すす)めの本を
誰かに売りたいと思う人にとっては
まさにうってつけの「ブックマンション」。

私が無人古書店の常連客だと話したことで
しばらく読書の話題に花が咲いた。

「その本に出会えたことで
 今まで知らなかった世界を知ることができる」
そうですよね、と共感する私。

「では、お薦めの本は?」と尋ねてみる。
中西さんがおもむろに取り出してきた本が
『ねじとねじ回し』。

普段は気にも留めないねじとねじ回し。
本と出会わなければ
生涯知ることのないその深い世界。

私はその本を購入した。

「500円以上お買い上げの場合は
 もれなく綿菓子製造機で綿菓子が作れます」

何となく子どもの頃にかえったような
ワクワクさせるアイデア。
思わず割りばしに手をのばしかけて
私はふと考えた。

50歳代後半の私が
吉祥寺の街を綿菓子を持って歩く姿を。

しばらく迷った末に
丁重にご辞退申し上げた。

店を後にしながら
私の中のもう一人の私が
何度も私に声をかけてきた。

「本当は綿菓子作ってみたいんじゃないの」と。


※『富岳の眺め』No.52をご覧になる場合は
 左欄「過去の記事」から「2018年度」を選び
 さらに「1月」をクリックしてください。
 その上で上段にある「カテゴリ」から
 「校長室より」を選んでください。
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校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.81

ネット全盛の時代。
調べたいものは
何でも瞬時に検索することができる。

そんな時代に
「未来に図書館は不要である」と言う人もいる。
私はそうは思わない。

ドキュメンタリー映画の傑作
『ニューヨーク公共図書館』を観た。
世界で最も有名な図書館、
その舞台裏に迫った3時間半の長編映画。

「図書館は本の置場所ではない、図書館は人だ。」
そのメッセージが繰り返される。

芸術家を招いての講演会、
高齢者向けのダンス教室、
子どもたちへのプログラミング課外授業、
移民への英語講座 
点字や手話講座 等々
その活動は私自身の図書館のイメージを一新した。

さらに驚いたのがWi-Fi機器の無料貸出プログラム。
ニューヨークの住民の約1/3が自宅にネット環境が無い。
情報の格差こそが
人の格差につながるという考えのもと
市民の寄付に支えられながら
人々に平等に門戸が開かれる。

「公立」でもない、「私立」でもない。
「公共」とは市民の寄付を中心としたシステム。
「自分たちの図書館」という意味に近いかもしれない。

だからこそ、図書館の職員は仕事に誇りをもち、
利用者に徹底したサービスを提供する。
電話での市民からの問い合わせにも
職員自身がきちんと調べながら答える。


  🗽    🗽    🗽    🗽


映画館を出た後、我が身を振り返る。
最近、何かを調べる時、
果たして自分は何を使っているだろうか、と。
スマホの操作だけで終わらせていないだろうか、と。

ネットでも様々なものを調べることができる。
でもその情報のほとんどが誰かがまとめたもの。

「原典にあたりなさい」
私が中学生の時、社会科の先生がよくそう言っていた。
そして、その原典は図書館にあると。

夏休みの自由研究に四苦八苦しながら、
図書館職員に「こんな本、ありますか?」と尋ねる。
職員が書庫の奥から一冊の本を持ってくる。
「調べたいこと、きっとこの本の中にありますよ。」
学習室に入り、本のページをめくる。
そこにお目当ての資料を見つける。
暗闇の中に一筋の光を見出だした喜び。

汗をかいて調べ、
目的のものに出会えた喜びを
今の中学生にも体験してほしいと願いながら
このコラムの原稿を
地元の図書館の学習室で書いている私であった。

校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.80

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図書室、というと思い出す映画がある。

同姓同名の男女の中学生「藤井 樹(いつき)」。
クラスメートの策略(さくりゃく)により
二人そろって図書委員にさせられる。

男子の樹(いつき)は、図書委員の仕事に全く興味を示さない。
図書室に来ても、これまで誰も借りたことのない本を借り、
まっさらな貸出カードにせっせと自分の名前を書いている。
そんな一人遊びを楽しんでいる男子の樹(いつき)に
「バカじゃないの」と冷ややかな女子の樹(いつき)。

冬休みのある日、
一冊の本を持って彼は彼女の自宅へと訪ねて来る。
休み明けにこの本を図書室に返してほしい、と。

「自分で返せばいいのに」
首をかしげながらも
本を預かる女子の樹。
裏表紙に挟(はさ)まれた貸出カードには
もちろん「藤井 樹」の名前が書かれている。

そして休み明け、登校した彼女は
その男子生徒が転校したことを知る。

岩井俊二監督『Love Letter』(1995年)

男子の樹が貸出カードに書いた名前は
果たして彼自身の名前だったのか?
それとも彼女の名前だったのか?


  📘    📘    📘    📘


映画のラストシーン。

大人になった女子の藤井 樹。
今は地元の図書館で勤務している。
男子の樹は数年前、山で遭難していた。

彼女のもとに母校の中学生たちから
一冊の本が届けられる。

十数年前、男子の藤井 樹から預かり、
図書室へと自分が返却したあの本であった。

中学生たちが樹を急(せ)かす。
その本に挟まった貸出カードを見るようにと。
「藤井 樹」の名前が書かれた貸出カード。

促(うなが)されるまま貸出カードを裏返した時、
彼女は思いもよらなかったものを目にする。
十数年前、男子の樹が女子の樹に伝えたかった
本当のメッセージを。

その本のタイトルは
『失われた時を求めて』。

十数年の時を超えて、
二人の対話が始まったのである。


  📖    📖    📖    📖


ドキュメンタリー映画
『ニューヨーク公共図書館』
連日、映画館が満席の話題作。

次回(明日)、進化し続ける図書館について紹介予定。

校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.79

人生には何をやってもダメな時期がある。

  〜 なんで自分だけが 〜

周囲はみんな、うまくいっている人ばかり。
劣等感、嫉妬(しっと)、焦(あせ)り・・・
マイナスの感情が次々と襲ってくる。

でも、ダメな時期だからこそ出会える人がいる。
そんな時期に出会えたからこそ、
その人は生涯忘れられない友となる。

『横道世之介』

吉田修一の小説。
時代小説ではない。
れっきとした青春小説。

1980年代、九州から大学入学のために
上京してきた横道世之介。
ちょっと天然で、空気が読めない。
でも世之介といるとなぜかホッとする。
とにかくいい奴なのである。

世之介と出会った人たち。
みんなそれぞれ人生うまく行ってる訳ではない。
世之介と出会ったことで
人生が劇的に好転する訳でもない。

でも何年か経った後、
ふと振り返ってみると
世之介に出会えて良かった、と思える。

ほんわかとした気持ちで読んでいた小説が
途中で突然大きく動き出す。
今まで見えていた世界がガラッと変わってしまう。
そして、無性(むしょう)に世之介に会いたくなる。

そう、大切な友というは
いつも一緒にいて
つながっている必要なんてない。

今は、どこでどうしているか
全くわからないけれど
思い出の片隅の
そのど真ん中に
笑顔でいてくれる
それが自分にとっての大切な友。

行き詰まりを感じた時に
アイツだったら
何て声をかけてくれるかなぁ、と
ふと思い浮かべてしまう存在、
そんな友に一人でも出会えたら、
人生まんざらでもないかもしれない。


  ☀️    ☀️    ☀️    ☀️


私が大学4年生だった秋のこと。
就職試験に落ち、
意気消沈して下宿へと戻ったあの日。
同じ下宿の九州出身のアイツが
試験に落ちた私に同情して涙を流してくれた。
当の本人である私は泣いていなかったのに。

そして「元気出しなよ」と言いながら
私にチャーハンを作ってくれた。
お世辞にも美味しいとは言えないチャーハン。
水で喉(のど)の奥に流し込みながら
やっとの思いで完食した。

アイツはそんな私に
「おかわりあるよ」と笑顔を見せた。

アイツ、今、どこで
何してるんだろなぁ。

小説を読み終えた時に
不器用な手つきで
チャーハンをつくるアイツを思い出していた。

人生のダメな時期、万歳!
人生のスランプ、万々歳!

※「コラム」欄に「余録」を掲載しました。
 合わせてお読みください。

校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.78

世界的コンピューター企業アップル社。
この企業のロゴマークはかじりかけのリンゴである。
このリンゴは果たして何を意味するのであろうか?



  🖥️    🖥️    🖥️    🖥️


歴史から消された一人の人物がいる。

彼の名はアラン・チューリング
イギリスの天才数学者。

1939年第二次世界大戦勃発(ぼっぱつ)。
イギリスはドイツとの戦いに苦戦を強いられていた。
その苦戦の最大の原因が
ドイツが開発した暗号機エニグマの存在だった。

エニグマ、ドイツ語で「謎」を意味する。
暗号解読のためのパターンは全部で
150000000000000000000通り。
人間の力で計算すると10人でも2000万年かかる。
不可能と言われたエニグマ解読を目指し
イギリス政府は各分野の天才たちを呼び集めた。

その一人がアラン・チューリングであった。

「機械に対抗できるのは機械しかない」

彼は1台の機械を開発する。

チューリング・マシン
人間の能力をはるかに凌(しの)ぐ計算力で
マシンは不可能と言われたエニグマ解読に挑む。

そして1941年、ついにエニグマが解読される。

しかし、解読成功をドイツが知ることで
暗号パターンを変えられることを怖れたイギリスは
この事実をひた隠しに隠す。

そして1945年第二次大戦終結後も
チューリングたち暗号解読メンバーは
その事実を一切口外しないよう強制される。

チューリング・マシン
現在、私たちはそれを「コンピューター」と呼ぶ。


戦後もチューリングは独自の研究を続ける。
彼が次に着手したのは
人間の脳と同じ機能を持った機械の設計。
「電子脳」と言われるこの研究、
当時の研究者たちからは全く見向きもされなかった。
それどころか彼は「変わり者」のレッテルをはられ、
次第に社会から孤立していく。

もしもチューリングがエニグマ解読の成功者として
世間に事実が公表されていたとしたら、
果たして彼の研究は軽視されていただろうか。

1954年彼は自宅において
孤独の中、41年の生涯を閉じる。

彼が研究を続けた「電子脳」。
そう、チューリングこそが
人工知能(AI)の父と呼ばれるその人なのである。

彼の名誉が回復されたのは、
その死から半世紀以上経った2013年であった。

  
   💻    💻    💻    💻


亡くなったチューリングの部屋の中には
かじりかけのリンゴが一つ転がっていたと言う。

アップル社のロゴマークがチューリングを称え、
彼の自宅にあったリンゴをデザインしたという話が
「都市伝説」として語られている。


今週イギリス中央銀行は
2021年から発行される新しい50ポンド紙幣に
肖像画としてアラン・チューリングを採用すると発表した。

※「コラム」欄に「余録」を掲載しました。
 合わせてお読みください。

校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.77

かつて家の中に「お茶の間」があった。
家族そろって食事をし
家族そろって一日の出来事を話し
家族そろって同じテレビ番組を観た。

お茶の間で家族そろって観ていたテレビ番組の一つ。

『大草原の小さな家』

アメリカのテレビドラマ。
西部開拓時代(日本では明治の初め頃)、
両親と三人の幼い娘のインガルス一家。
家族が力を合わせて、様々な苦難を乗り越え、
大自然の中で生きていく姿が描かれる。

働き者で頼りになる父さん、チャールズ
凛(りん)として優しい母さん、キャロライン
三人姉妹メアリー、ローラ、キャリー。
姉妹の長女メアリーと同世代だった私は、
インガルス一家に理想の家族像を見ていた。

毎回のエピソードは
決して押しつけがましいものではない。
見終わった後には、
心の中がきれいに洗われたような気分になった。

ある回での父さんと次女ローラの会話。

流れ星に願い事をしようとしたローラ。
しかし、願い事を祈る前に
流れ星が消え去ってしまった。
がっかりするローラ。
その時、父さんがローラに語りかけた。

父さん「願い事をどうぞ。
    父さんは欲しいものは全部持ってる。」

ローラ「流れ星を見ないと(願い事が)出来ないでしょ?」

父さん「父さんが見た分をあげるんだ。」

父さんに抱きつくローラ。

私は心の中でいつしか
自分もチャールズ父さんのようになりたい、と願い
優しさこそが「かっこいい」のだと教わった。

ドラマの毎回のエピソードに
必ず描かれる一家団らんの場面。
父さんの弾くバイオリンに合わせて
姉妹は手をとってダンスを踊る。
それを優しく見守る母さんの笑顔。

ふと自宅の「お茶の間」と
インガルス一家のそのシーンが一つとなり、
この時間がいつまでも続きますように、と
心に願っていたあの頃。

ドラマは9年間続き、
世界中で愛されるホームドラマとなった。

ドラマ終了から7年後の1991年、
世界中から「父さん」と慕われた
チャールズ役のマイケル・ランドンが亡くなった。
享年54歳。


この春からNHKのBSプレミアムで
毎週土曜日朝8時30分より
『大草原の小さな家』が再放送されている。

その放送を久しぶりに観た。
懐かしいオープニング。
当時と変わらないインガルス一家。

唯一変わったのは
その番組を観ている私なのかもしれない。

ふと気がつくと
子どもたちからの視点ではなく
チャールズ父さんの視点から
「優しさ」とは何かを考えている自分がいた。

校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.76

幼い日の記憶。

港のそばの町に生まれ育った私。
港に出入りする船を見るのが好きだった。
小さな港で見かける船は
ほとんどが漁船だった。

ある日のこと。
漁船より少し大きめの船が入港した。
岸壁に渡し板が架けられる。
何人かの屈強(くっきょう)な男の人たちが
威勢のいい掛け声を上げ始めた。
何が始まるのか、と興味津々(しんしん)の私。
すると船の中から次々と綱で引かれた牛が出てきた。

男の人たちは牛を引っ張り、
岸の近くに停められたトラックへと連れて行く。
荷台に繋がれていく牛たち。

その時である。
船から降ろされた一頭の茶毛の牛が
突然いやいやをするように荷台に乗ることを拒んだ。
男の人四、五人でその牛を囲む。
港中がにわかに騒々しくなる。
ある者は牛の綱を引っ張り、
ある者は牛のお尻あたりを押す。

その光景に立ちすくむ私。
すると近くて漁網を修理していた別の男の人が
私に話しかけてきた。

「これからどうされるんか、牛もわかっとる。」

次に憶えているのは
トラックの荷台に繋がれた茶毛の牛の姿。
記憶の中のその牛は
なぜか私をじっと見つめていた。
その寂しそうな目を見るのが悲しくて
私はその場を立ち去った。


  🐂    🐂    🐂    🐂


移動教室で訪れた酪農牧場。
酪農の持つ牧歌的なイメージとは異なり、
強烈な臭いに思わず鼻を覆う生徒たち。

牛の大きさに尻込みをしていたものの
牛たちに餌をやり、
乳搾りを体験していく中で
次第に親近感が芽生えてきた。
牛たちの体を撫でながら
話しかける姿も見られようになった。

「目がかわいい」
至るところで歓声が上がる。

バターづくりを体験し
パンに塗って食べ終えた後
牧場スタッフから話があった。
この後、牛たちがたどる運命について。

スタッフは気持ちを込めて話す。
この牛たちを大切に大切に育ててきた思いを。
この牛たちが自分たちの宝物であることを。
しかし、確実におとずれる別れの時を。

真剣な眼差しで話を聞く生徒たち。
話が終わり、バスに向かう生徒たちの表情は
先ほどまで牛たちと戯(たわむ)れていた表情とは
全く異なっていた。

バスに乗り込む前に、
私はもう一度牛舎を覗いてみた。
静かに牧草を食(は)む牛たち。

そのうちの一頭が私の方を見た。
目と目が合う。

遠い日の記憶の中の
荷台に繋がれた茶毛の牛の目と
その牛の目が一瞬、重なったように思えた。

校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.75

昨年の大みそか、紅白歌合戦。

アイドルグループのバックパフォーマンスに
男性チアリーディングが登場した。

早稲田大学男子チア部SHOCKERS(ショッカーズ)。
2004年に創設され、
そのダイナミックな演技で
多くの観客を魅了し続けている。

このショッカーズをモデルとして
作家の朝井リョウが描いた小説『チア男子!!』
それを実写化した映画を観賞した。

創設当初の部員集めに立ちはだかる壁。
チアリーディングは女子のスポーツという偏見、
それでも創設メンバーたちは諦(あきら)めない。

 いろいろぶっ壊したいのさ
 チアは女子がやるものという
 固定概念も冷たい視線も

この撮影のために出演俳優たちは猛特訓したという。
その練習を見て、シンガーソングライター阿部真央が
エンディング曲を書き下ろした。

  『君の唄(キミノウタ)』
 
  自分で選んだ道があるから
  風変わりと笑われても 
  何か言われても
  変わりたいと思える僕を
  僕は好きでいたい
  駆け抜ける夏
  全部壊して進みたいだけ

チアリーディング。
人を応援することで
主役になれる世界で唯一のスポーツ。

映画の中のパフォーマンスシーンが
砧中運動会の応援団の姿とオーバーラップし
しばらくスクリーンがぼやけてしまった。

応援 〜
誰かを支え
誰かを励まし
誰かを称(たた)え
そして自分も変わる

俳優たちの表情が変化していく。
それは決して俳優としての演技だけではない。
このスポーツを体験したことで
俳優たちもまた何かと出会えたのだろう。

その姿に周囲も変化していく。

 チアをはじめていなかったら
 こんな笑顔に出会えなかった 

映画館を出た後、
明日も笑顔で生徒たちを迎えようと
一人うなずく私であった。

校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.74

大学生の頃、住んでいたのは
三畳一間の下宿の部屋。
テレビもない。
電話もない。
もちろんパソコンやスマホは
存在すらしていなかった。

その狭い空間での数少ない娯楽は
本を読むことと、ラジオを聴くこと。

週末の深夜、ラジオのスイッチを入れ
読みかけの本のページを開く。
ラジオのFM放送から流れてくるのは
音楽番組『JET STREAM』

ポール・モーリアの『蒼いノクターン』の曲に
私は思わず読んでいた本をテーブルに置く。

詩的なナレーションが流れる。
定かではないが・・・
確かこのような内容だった。

 街路樹のマロニエの花が咲く季節
 パリのカフェテラスで私は一冊の本を開く
 シャンゼリゼ通りを家路へと急ぐ人たち
 心地よいそよ風に
 私はふとモンマルトルの丘を眺める

マロニエがどんな花で
シャンゼリゼ通りがどんな通りで
モンマルトルの丘がどんな丘なのか
当時の私は全く知らなかった。

それでも私の瞼(まぶた)の奥には
パリの街並みがありありと浮かんできた。


『JET STREAM』が終わり、
缶ジュースでも買いに行こうと
私は下宿の部屋を出て階下へと向かった。

玄関前の部屋から
『蒼いノクターン』の鼻唄が聞こえてきた。
私と同じように地方から上京して
三畳一間で暮らすM君。
思わず私は微笑んでしまった。


  📻    📻    📻    📻


つい先日のこと。
私は買ったばかりの本を抱えて
近所の珈琲店へと向かった。

本を読み始めてしばらくすると
聞き覚えのある心地よい曲が流れてきた。
それはポール・モーリアの『蒼いノクターン』。

私は本をテーブルに置き、
静かに目を閉じた。

不思議なことに
その日、私の瞼の奥には
パリの街並みは浮かんでこなかった。

そのかわりに浮かんできたのは
あの下宿の三畳一間の部屋。

今はもう駐車場となって
存在すらしない
独り暮らしの部屋の情景であった。

校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.73

かつて私は社会科授業の中で
BGMを多用していた。
昭和の時代はカセットテープで、
平成になってからはCDを使って。

前回のコラムで紹介した「人見絹枝」。
彼女の生涯を当時あるTV番組で知り、
どうしても教材として授業で生徒に伝えたいと
関連する本を何冊か読んだ。

そして「大正以降の女性の社会進出」というテーマで
彼女の生き方を取り上げ、授業を行った。
授業の最後でBGMを流した。

香港のロックグループ「BEYOND」の
『遥かなる夢に 〜 Far Away 〜』。

この曲は「人見絹枝」を知るきっかけとなった
TV番組のエンディングで流されていた。

この曲を使って授業を行った最初のクラスでのこと。

自分自身の思い入れも強かったこともあり、
曲調と歌詞の内容が「人見絹枝」の人生と重なり、
BGMを聴きながら
私は思わず生徒たちの前で涙を流していた。

生徒たちに気づかれないよう取り繕(つくろ)う私。
しかし、ふと見ると
何人かの生徒たちも同じように涙を流していた。

  思い悩み傷つき 
  眠れない夜もあった
  信じ合い肩を支えて
  励まし合ったあの日
  終わりのない旅の途中で
  振り向けば君がいる
  人は皆一人きりじゃ
  生きていけないから
  
  この胸に希望の鐘(かね)
  明日も鳴らすだろう

   
  🏃    🏃    🏃    🏃


砧中運動会。
「もし自分のせいで・・」と
不安になる生徒もいる。
当日まで眠れぬ夜を過ごすかもしれない。

練習では失敗した生徒に
「大丈夫、気にするな」と声をかけるクラスメート。
信じ合い、肩を支えて、励まし合う姿。

いつの日か、この日々のことを
振り向けば仲間がいた日々のことを
思い出してほしい。

人は皆一人きりじゃ
生きていけないから。

運動会直前、
久しぶりに『遥かなる夢に』を聴いてみた。

今年の運動会では
どんなBGMが生徒たちを励ますのだろう。


18日火曜日、
仕切り直して
砧中学校運動会が開催される。

※「コラム」欄に「余録」を掲載しました。

校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.72

1928(昭和3)年、アムステルダムオリンピック。
この大会からオリンピックの選手として
初めて女性の参加が認められた。

一人の女性が日本代表に選ばれる。
日本人初の女性オリンピック選手、
人見絹枝(ひとみきぬえ)である。

「女性が足を出して走るなどみっともない」

世間では女性がスポーツをすることに
偏見が存在していた時代。
人見絹枝の自宅にも
彼女を非難する手紙が大量に届いたという。

一方、日本代表に選ばれてからは
勝利至上主義のプレッシャーが彼女を襲う。
「金メダルをとれなければ帰ってくるな」と。

無責任な様々な声を背に
彼女はオランダ・アムステルダムへと旅立つ。

 
  🇳🇱    🇳🇱    🇳🇱    🇳🇱


絶対的自信を持って臨んだ陸上100m。
しかし、人見は準決勝で敗退する。
「このままでは日本に帰れない」
追い込まれた彼女は一つの決断をする。
これまで一度も走ったことのない800mへの出場。

8月2日、800mのスタート。
経験のない距離にペースをつかめないまま
中盤まで6位あたりをキープする。
そしてレースの終盤で
人見は猛然とダッシュをする。
次々と選手を追い越し、
トップのドイツ代表ラトケ選手と
熾烈(しれつ)なデッドヒートを演じる。

ラトケ選手のすぐ後ろまで迫るが、
結果、惜しくも2位でゴール。
ゴール直後、人見もそしてラトケ選手も
その場で気を失ったという。
それほど過酷なレースだった。

金メダルには手が届かなかったとはいえ
日本人女性初のメダリスト誕生。

帰国後、人見は銀メダリストとし評価は得たものの
女性スポーツに対する偏見が
依然として根深いことに失望する。

人見は全国を飛び回り、
女性スポーツの普及に全力を尽くす。
しかし、その無理がたたり肺炎を患って
1931(昭和6)年、24歳の若さでこの世を去る。
奇しくも3年前のまさにその日、
彼女が銀メダルを獲得した8月2日であった。

  
  🏃    🏃    🏃    🏃


世間から冷ややかな視線を浴び続けた
女性スポーツのパイオニア。

彼女の言葉が残されている。

  いくらでも罵(ののし)れ!
  私はそれを甘んじて受ける。
  しかし私の後から生まれてくる
  若い女子選手や
  日本女子競技会には
  指一つ触れさせない。


今年のNHK大河ドラマ
『いだてん〜東京オリムピック噺〜』

いよいよ人見絹枝が登場する。

校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.71

ふらりと立ち寄った夕方の図書室。
女子生徒が一人、机に向かっていた。
黙々とノートに何かを書き写している。

その情景が遠い日の記憶を思い起こさせた。


  📔    📔    📔    📔


それは私が中学生の時の記憶。

いつもの昼休み。
教室の片隅にお決まりの仲間数人で集まり、
人の噂話や愚痴などで盛り上がっていた。
私はその中の一人だった。

教室のもう一方の片隅に
一人で教科書を開いて勉強している男子生徒がいた。

 S君 − 昼休み、彼はいつも一人で勉強していた。

私の仲間の一人が彼を指差して
聞こえよがしに私たちにささやいた。

「ガリ勉・・・」

そう言った後、クスクスと笑い始めた。
つられて、他の仲間たちも笑った。

私も笑った。
いや、笑いたかったわけではない。
笑うことで、仲間たちに同調していることを
周囲に示したかっただけ、というのが本心だった。

笑いながら、しかし私は心のどこかで
虚(むな)しさを感じていた。

昼休み、何となく仲間同士集まり、
何となく噂話をして、
何となく周囲に合わせて笑い、
何となく安心している自分。

集団に属していることを
確認したいだけの日々。

一方で集団などどこ吹く風、といった空気をまとい
机に向かって黙々と勉強しているS君。

本来なら多数に所属することで
優越感を味わうはずなのに
その時の私はS君の姿に劣等感を抱いていた。


ある日の放課後、
図書室で一人勉強するS君を見かけた。
私は周囲に誰もいないことを確認して、
そっと彼に問いかけた。

「一人で寂しくないの?」

彼は不思議そうに私の顔を見つめた。
そして、ふっと笑みを浮かべてこう答えた。

「一人でいたい時に一人でいるだけ。
 無理して誰かと一緒にいる方が疲れるし。」

 〜 無理して誰かと一緒にいる 〜

まさに私の心の底を覗(のぞ)かれた気分だった。

その時、私は国語の授業で習った
「孤高」という言葉の意味が
少しだけわかったような気がしていた。
言葉は似ていても
「孤独」とは全く異なる、と先生が教えてくれた
その言葉の意味が。


  ✏️    ✏️    ✏️    ✏️


砧中学校、放課後の図書室。

女子生徒の姿があの日のS君と重なった。

私は彼女の邪魔にならないよう、
そっと図書室を後にした。

校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.70

「嵐山の竹が泣いています・・・」

一年前、京都の観光会社が
ネット上に被害を訴えた。

竹林で有名な京都・嵐山。
100本以上の竹に落書きが相次いで発見されたのだ。

数日前、私はその竹林の小径(こみち)を歩いてみた。
「幽玄(ゆうげん)」「雅(みやび)」
そんな言葉が似合う趣(おもむき)ある散策路。
遠い過去へとタイムスリップしたような感覚。
次世代へと引き継ぎたい景観である。

観光客の増加に比例して
マナー違反も増加しているという。
竹に刃物で自分の名前などを彫り、
それをSNSに投稿するというのだ。

知人に見せびらかしたいためだけの
視野の狭い自己主張。
長い歴史の中で受け継がれてきた自然美に対して、
悲しいまでの現代人の浅はかさである。


  🏞️    🏞️    🏞️    🏞️


高畑勲監督作品
映画『かぐや姫の物語』(2013年)。
水墨画と水彩画を融合させたような
不思議な魅力をもつアニメーション。

もちろん原作は日本最古の物語と言われる
『竹取物語』である。

映画では草や木、花が丁寧に表現され、
日本の自然の豊かさを味わうことができる。
この作品の中で、自然をいとおしみ、
自然と共に生きる人びとの姿が描かれている。
私たちの先人はそうやって自然の美を
時を超えて次世代へとつないできたのだ。

映画の主題歌である『いのちの記憶』
その歌詞の一節。

 いまのすべては 過去のすべて

今ある遺産は過去から引き継がれてきたもの。

映画のラストシーン。
月からの使者がかぐや姫に
汚れたこの地から月へ戻るようにと告げる。
しかしかぐや姫は
それを認めようとはしない。

「この地は汚れてなんかいないわ!
 この地に生きるものはみんな
 彩(いろどり)に満ちて!
 鳥、虫、けもの、草木花、人の情・・」

そう、かぐや姫は信じている。
この地に住む人の情は決して汚れていないと。

 
  🌿    🌿    🌿    🌿


竹林の小径を歩きながら、
ふと気がつくと『いのちの記憶』を口ずさんでいた。

 いまのすべては 過去のすべて

 いまのすべては 未来の希望 ・・・ 
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校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.69

森と湖の国フィンランド、
その首都ヘルシンキにある小さな食堂。
日本食を提供するその食堂は
開店から一ヶ月、全く客が入らない。

2006年公開の映画『かもめ食堂』は
全編フィンランドでロケが行われた。

日本食に馴染みのないフィンランドの人々は
好奇心はあっても店内には入ってこようとしない。
それでも小林聡美さん演じる店主のサチエは
肩に力が入ることもなく自然体なのだ。

「毎日真面目にやっていれば
 そのうちお客さんも来るようになりますよ」

「来なかったら?」

「その時はその時です」

頑張ることにちょっと疲れた時に
肩の力を抜いて、のんびりと観たい映画である。


  🍙    🍙    🍙    🍙


さて、フィンランドと言えば「ムーミン」。
一年前の大学入試センター試験、地理の問題。
ムーミンと関係する国は
フィンランドかノルウェーかを選択する。

ムーミンの舞台は架空のムーミン谷であって
どちらも不正解ではないか、
そもそもムーミンなんて高校で教わっていない、
SNSやメディアでこの出題に批判が相次いだ。

それでもこの地理の問題、
ムーミンを知らなくても
いくつかのヒントをもとに仮説を立てていくと
フィンランドの正解にたどり着けるようになっている。
私個人としては、受験生の「仮説検証する力」を試す
なかなかの良問だと考えている。

それよりも、気に入らなければ何でもバッシングする
肩に力の入り過ぎた最近の風潮の方にこそ不安を感じる。
何でも目くじらを立てる人たちに
ムーミンの登場人物スナフキンの言葉を贈りたい。

「長い旅行に必要なのは大きなカバンではなく、
 口ずさめる一つの歌さ」


  🍴    🍴    🍴    🍴


自然に恵まれたフィンランド。
そこに住む人たちの暮らしは
ゆったりと人生を謳歌(おうか)しているように見える。

それでも映画『かもめ食堂』の中で
様々な悩みを抱えた客たちがやって来る。

再び店主サチエの言葉。

「どこにいたって悲しい人は悲しい
 寂しい人は寂しいのよ」

人の悩みに国境はない。

サチエの人柄と
美味しい料理に誘われて
かもめ食堂に次第に客が増えていく。

サチエの「食堂を満席にする」という夢が
果たして叶えられる日は来るのだろうか。

映画を見終わった後、
少し肩の力が抜けている自分がいる。


コラムの最後に再び大学入試の「ムーミン問題」。
この論争について尋ねられたフィンランド外相。
彼は笑顔でこう答えたと言う。

「ムーミンは一人一人の心の中にいる」

校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.68

元号が昭和だった頃の話。

当時私はある学級の授業に
行き詰まりを感じていた。
質問をしても全く反応がない。
机に伏したまま居眠りする数名の生徒。
教室に入るたびに
重苦しい空気に自信を失いかけていた。

そんな私を見かねてか
先輩のA先生が声をかけてくれた。

「次回の授業の時に私も教室に入ってみるよ。
 その時何でもいいから、私に質問してみて。」

A先生は約束どおり、次の授業の時に
途中から教室にふらりと入ってきた。

私はA先生に歴史の質問をした。
「大阪の土台をつくった戦国時代の人物は?」

A先生は平然と答えた。
「バース」

次の瞬間、教室は爆笑に包まれた。
いつも居眠りしている生徒が
ゲラゲラ笑いながらA先生に教えようとする。
「A先生違うよ、答えは豊臣秀吉だよ。」

(※ちなみに「バース」とは、
 当時の阪神タイガースの4番バッターである)

A先生は素知らぬ顔をして教室を出て行った。

その後、不思議なことに
教室の雰囲気が一変した。
あれほど重苦しかった学級に笑顔が広がり、
何人かの生徒が手を挙げ始めたのだ。


  🏫    🏫    🏫    🏫


笑いの力は絶大である。

パッチ・アダムスと呼ばれる医師がいる。
彼はピエロに扮装して患者の前に登場し、
病室を笑いの渦に巻き込んでいく。

患者たちを励ますだけが目的ではない。
患者が笑うことで免疫力が高まることが
医学的にも証明されているのだ。

パッチ・アダムス、本名ハンター・アダムス。
愛称の「パッチ」とは
「手当て」や「ばんそこう」の意味である。


  🤡    🤡    🤡    🤡


三重県にあるテーマパーク、
そのホームページのPRメッセージ。

「並ばないから乗り放題」

これがSNSで面白いと評判になり、
来場者が大幅に増えたという。

恐るべし、笑いの効果。


  🎢    🎢    🎢    🎢


令和の現在。

砧中学校での授業時間、
私はいつものように校舎内を巡っている。

教室から笑い声が聞こえてくる。
その笑い声につられて、
私はふらりと教室に入る。

あの日のA先生のように。

  楽しいから笑うのではない。
  笑うから楽しいのだ。  

校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.67

その歌を初めて耳にしたのは
1993年の運動会でのこと。
放送委員の生徒がBGMとして
繰り返し流していたのだ。
全力で走る生徒たちの姿と
歌詞の情景が重なり、
胸が熱くなったことを憶えている。

  負けないで もう少し
  最後まで  走り抜けて

その歌は ・・・
平成を代表する応援ソングと言われる
ZARD(ザード)の『負けないで』。

その年のヒット曲となったにも関わらず
テレビなどへの出演がほとんど無かったことで、
果たしてボーカルの女性シンガーは
本当に存在するのか、と言った
「都市伝説」が生まれることとなる。


  🏃‍♀️    🏃‍♀️    🏃‍♀️    🏃‍♀️


ZARDの155に及ぶ楽曲、
そのほとんどの歌詞を
ボーカルの坂井泉水が書いている。
彼女の残した直筆メモは500枚を越え、
曲にもっともふさわしい言葉を探し、
何度も何度も書き直した跡がうかがえる。

『負けないで』の歌詞もそう。
「目と目が合った様な」を「視線がぶつかる」へ
「あきらめないで」を「走り抜けて」へ
タイトルの『負けないで』も
元々は『あきらめないで』であったと言う。

織田哲郎のアップテンポな曲が
聞く者の心を沸き立たせることは言うまでもないが、
坂井泉水がもしも歌詞を書き直していなければ、
これほど多くの人たちから
支持される歌となっていたかどうか。

 
  🏃‍♂️    🏃‍♂️    🏃‍♂️    🏃‍♂️


見守ってくれる人なんていない、
この歌詞はきれい事だ、幻想だ、と言う人がいる。

しかし、私は別の見方をしている。

私が『負けないで』の中で
最も励まされるフレーズ。

  なにが起きたって ヘッチャラな顔して
  どうにかなるサと おどけてみせるの

そう、私はこの歌を
見守ってくれる誰かからの応援ではなく
自分に向けたメッセージとして受け止めている。
「負けないで」と繰り返すのは
他の誰でもない、自分の心の声なのである。

苦しいな、辛(つら)いな、と感じた時に
今の自分はヘッチャラな顔ができているだろうか
このフレーズを思い出しながら、
自分自身に何度も問いかけてきたように思う。
そしてまた、自分自身に言い聞かせてきた
「どうにかなるサ」と。

応援ソングには、
それぞれの解釈があっていいと思う。
またそれぞれの解釈があるからこそ
歌い継がれ、
誰かを励まし続けているのかもしれない。


2007年5月、
ボーカルの坂井泉水は永遠の存在となった。
「都市伝説」ではなく
本当の意味での「伝説」となったのである。


※参考; NHK BSプレミアム
    『ZARDよ永遠なれ
     坂井泉水の歌はこう生まれた』

校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.66

🎵 今 私の願いごとが 叶うならば
   翼がほしい
   この背中に 鳥のように
   白い翼 つけてください 🎵

フォークグループ「赤い鳥」が
1971年に発表した『翼をください』の一節。
現在は合唱曲として
数多くの学校でも歌われている。
「背中に翼をつけて鳥のように大空を羽ばたく」
これは私たち人間にとって永遠の夢である。

その夢に水を差すような話題を。

 〜 鳥は本当に空を飛びたいのか? 〜

鳥類学者 川上和人氏によると
多くの鳥はほとんど空を飛んでいないと言う。
例えばスズメの飛ぶ平均時間は
30分間で1分ほど。
カラスは35秒、
ハトに至っては24秒しかない。
意外な事に地面で過ごす時間が圧倒的に多いのだ。

鳥にとって飛ぶという行為は
相当なエネルギーを消費する。
長時間飛行する渡り鳥も
飛び立つまでの期間、体内に多くの脂肪を
エネルギーとして蓄(たくわ)えなければならない。

鳥たちにとって「飛ぶこと」は
とても「しんどい」ことなのだ。

さらにその鳥の翼、
これは進化の過程で腕が変化したもの。
私たち人間が翼をつけるためには
背中ではなく、腕の代わりにつけることになる。
何かを身につけるためには
何かを失わなければならない。

鳥類はかつて二足歩行の恐竜から
進化したと言われている。
敵から身を守るために
必死に腕を羽ばたかせ、
命からがら逃げ続けたのであろう。
いつしかその腕は羽毛に覆(おお)われ、
少しずつ空を飛べるようになったと推測される。

鳥たちの翼は
何万年にもわたる命がけの結果と言える。
できることなら
鳥たちは空を飛びたくなかったのである。


  🕊️    🕊️    🕊️    🕊️


そんな風に生物学的に考えると
私たちが翼に込めた夢や希望が
次第に色褪(いろあ)せていくように思えてくる。

それでも私は翼に、夢や希望を託したい。
太古の昔から、人が大空に憧れ、
翼をつけて飛ぶことを目指してきたように・・・

※ 木の枝に止まる鳥は
 決して枝が折れることを怖れたりしない。
 枝を信頼しているからではなく
 翼を信頼しているからだ。
 
(※ アラン・ピーズ&バーバラ・ピーズ著作より)

校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.65

アメリカの小話から。

テキサス州に住む家族の出来事。
ある夜、次の休日の旅行の計画について
家族の間で話し合いが行われた。
家族の一人が提案した。
「アビリーンの町に行こう」と。
話し合った結果、その提案を受けて
アビリーンの町へ家族旅行する事が決定した。

休日、家族の旅が始まった。
しかしアビリーンまでの道中は
長く、暑く、埃(ほこり)っぽく、
目的地に着くまでに家族全員が疲れ果ててしまった。
さらにその町には見所がほとんど無かったのだ。

一人が不満を口にする。
「だから私はアビリーンには反対だったのだ」
もう一人が問い詰(つ)める。
「もともと誰がアビリーンと言い出したのだ?」
最初に提案した一人が答える。
「私はただ提案しただけで、行きたいとは言っていない」

話し合って何かを決めることは大切である。
しかし、時には無責任な結論となる場合も。
「アビリーンの逆説」と呼ばれるこのお話、
私たちが話し合いをする際に
心に留めておきたいエピソードである。


  🚙    🚙    🚙    🚙


「対話的な学び」が学校に求められている。
かつての講義形式の授業が見直され、
話し合い活動が取り入れられるようになった。
もちろん、これからの時代
「話す力」を身につけることは必要である。

とは言え、話し合いには落とし穴もあるのだ。

 − だから私は反対だった −

大人の話し合いでもよくある光景。
イギリスのEU離脱(りだつ)問題も
もしかしたら「アビリーンの逆説」か。


  ✏️    ✏️    ✏️    ✏️


SNSで様々な意見が飛び交う今の時代。
ネット上ではあらゆる問題について議論が活発だ。
それらの議論を見ていると 
議論の相手を一方的に批判する書き込みも多い。

確かに議論は相手と対立するものだ。
それでも相手を中傷ことには疑問を感じる。
物事を決めるために「議論」は必要だが、
砧中学校での取り組みでは、
まずは「対話」から始めたいと思う。

このコラムの最後に
前回取り上げた小説「竜馬がゆく」を再び。
主人公竜馬の言葉から。

  俺は議論はしない。
  議論に勝っても
  人の生き方は変えられぬ。

校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.64

私が中学生の時のことである。
当時は健康診断の項目に「色覚検査」があった。
数種類の色のモザイク模様の中から
文字などを読み取らせるという検査。

そして私は毎回この検査で
「異常あり」と診断されていた。
日常生活で不便を感じていなかったにも関わらず。

その年の検査でも模様の中の文字が読めなかった。
検査を担当していた先生は淡々と私に告げた。

      ~異常あり~

それを聞いていた同級生たちを介(かい)して
私の検査結果のことが校内の噂(うわさ)となった。

軽い遊び心からであろうが
何人かの同級生が私の色覚を試すかのように
文房具などを私に見せながら
質問を投げかけるようになった。

「これは何色(なにいろ)に見える?」と。

繰り返される無自覚な悪意に
私は追い込まれていった。

ある日のこと。
他のクラスの生徒が廊下ですれ違いざまに
赤い下敷きを私に見せながら問いかけてきた。
「何色に見える?」

悲しさと悔しさで
私は怒りに震(ふる)えながら彼に言い返した。

「いい加減にしろよ。赤に決まってるだろ!」

その生徒は赤い下敷きをヒラヒラさせながら
「ハズレ、黄色です。」と嘲(あざけ)るように笑った。
自分は冷やかしやからかいの対象となっている、
そう感じた私は耐(た)えきれなくなり
逃げるように教室へと駆け込んだ。


  👓    👓    👓    👓


そんなある日
私は図書室で一冊の本と出会った。
分厚いその本に元々興味があったわけではない。
偶然手に取っていたのだ。

『竜馬がゆく』(司馬遼太郎 作)

読み始めてすぐにこの本の虜(とりこ)となった。
人の噂などものともせず
自分の信じる道を突き進む主人公竜馬の姿に
次第に魅(み)せられていった。

本を読み進めながら
いつしか自分自身に言い聞かせていた。

「他人の言動には振り回されない」


  📘    📘    📘    📘


数ヶ月後、廊下で例の生徒と出くわした。
彼は相変わらず赤い下敷きをヒラヒラとさせながら
同じ質問を私にしてきた。
「何色に見える?」
 
不思議なもので、
その日の私は以前の私とは異なっていた。
悲しさや悔しさといった感情が
湧(わ)いてこないのだ。
それどころか、私に問いかけるその生徒に対して
哀(あわ)れみの気持ちさえ抱(いだ)いていた。

私は静かにその生徒を見つめていた。
しばらく彼は私に同じ質問を繰り返していたが
徐々(じょじょ)に私から目をそらし始めた。
哀れみの眼差しで見つめられていることに
彼の方が耐えきれなくなったのかもしれない。
急に押し黙(だま)ったかと思うと、
逃げるように私の前から立ち去っていった。

一冊の本との出会いが
私の中に大きな変化をもたらせた瞬間だった。
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