11/30(月)全校朝礼がありました。
- 公開日
- 2015/11/30
- 更新日
- 2015/11/30
今日のできごと
今日の朝礼では、校長先生のお話の後、ソフトテニス部男子、女子、卓球部女子、美術部、11/11に行われた1,2年生のロードレース大会の表彰がありました。校長先生からは、「恩を贈る」というお話がありました。
「恩を贈る。救いの翼」
先日、東京都教育委員会の知り合いから「池田先生、助けてくれないか?新しいプログラムの授業をやって欲しいのだが、引き受けてくれるところがなくて困っている」という相談を受けました。私は即座に「何とかしよう」と答えました。困っている友人を助けたいと思いました。それは、自分が困っている時に、多くの人々に助けてもらったからです。このことを私は「『恩』を贈る」と考えています。
自分が誰かを助けるー。その人に恩を売るのではありません。その人に恩を贈るのです。そうすると、いつか誰かが自分が困っているときに恩を返してくれる、そうして人々は幸せに過ごすことができると思うのです。
さて、今から125年前の1890年9月の夜、日本の和歌山県の小さな村が大騒ぎになりました。それは、外国の船が転覆して多くの外国人がおぼれていたからです。当時、小さな村の多くの人たちは外国の人を見たことがなく、不安でいっぱいでした。まして荒れた海に入っておぼれた人を助けることは、自分の命も危うくさせることでした。しかし、村の人々は自らの危険も省みず、外国の人たちを全員で助けたのです。その外国の人はトルコ人で、エルトゥールル号という船に乗っていました。村人の懸命な救助により、命を落とした人もいたものの、69人のトルコの人が救助されました。
時が経ち、1985年、イランとイラクという国が戦争を始めました。イランには当時多くの日本人が働いており、戦争による被害が予想されました。一刻も早く日本に帰らなければなりません。他の国の人々は、自分の国が準備した飛行機で続々と脱出していきます。日本人が乗れる余地はありません。日本人のすべてが不安と焦りの中にいました。その危機の中で救いの手が差し伸べられました。トルコ政府が取り残された日本人救援のために飛行機を差し出してくれたのです。それどころか、トルコ政府は自分の国の人よりも日本人を優先して救助してくれたのです。こうして日本人216人は、無事脱出することができました。なぜトルコ政府が救援機を出してくれたのでしょう。私はきっと1890年のエルトゥールル号の出来事が『恩』となり、贈ってくれたと考えます。
「恩」を贈る。こうしてよい世の中になって欲しいと思います。
(校長講話より)