中学校校庭開放のルールについて自習課題(3月23日)・文字が読みにくくて、申し訳ありません。 ・提出課題ではありません。 ・解答は明日のホームページで。 ・e-ラーニングを家庭学習にご活用ください。 国語科から上祖師谷中学校の生徒の皆さんへ在校生の皆さん、卒業生の思いにふれ、感じてください。 3年間はとても短く友達と過ごす時間もあっという間です。後1年、2年あるから大丈夫と思っていても明日、何が起こるかは誰にも分かりません。在校生には、友達と過ごすことのできる貴重な時間を大切にして、残りの中学校生活を過ごしてほしいと思います。急に友達と過ごすことのできた時間を失うことになっても、学校生活でうまくいかないことがあっても、何があるかわからない明日に、誇れる今日を過ごしてほしいと思います。 人生のたった3年間とは考えられないほどたくさんの思い出や出会いがありました。この上祖師谷中学校で過ごした3年間で流したたくさんの涙、そして笑いあった日を誇りに思い、また逢う日まで自分で決めた道を続けたいと思います。 卒業生代表 詳しくは学校だより 号外をご覧ください。 卒業式無事に終了しました。
本日19日卒業式が無事に終了しました。練習をしていない式でしたが卒業生は立派に取組み、成長した姿をみることができました。
校長式辞、卒業生別れの言葉は学校だよりに掲載してあります。特に在校生に読んで欲しい内容です。是非ご覧ください。 卒業式の直前久しぶりに生徒の笑顔がたくさんある学校となっています。 国語科から上祖師谷中学校の生徒の皆さんへ文章を読んで考えるということは、感性を磨くきっかけにもなります。 本日は古文です。現代語訳ものせてますのであわせて読んでみてください。 古文 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 おごれる人も久しからず、ただ春の世の夢のごとし。 たけき者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。 現代語訳 祇園精舎の鐘の音には、この世は常なく万物は移り変わるものだという響きがある。 沙羅双樹の花の色は、栄えている者もいつかは必ず衰えるという道理を表している。 おごりたかぶる人も長くは続かない、ただ春の夜のようにはかないものだ。 力の強い者もいつかは滅びてしまう、まったく風邪の前の塵と同じである。 卒業式 教員だけの予行明日は素晴らしい卒業式にしましょう。 音楽科より 3 年生へ皆さんの音楽祭での合唱は後輩たちに素晴らしい伝統を残してくれました。本当にありがとう! 「音楽」は人の心を明るくしてくれたり、励ましてくれたり、寄り添ってくれたり...これからの人生の様々な場面で皆さんのそばにいてくれることでしょう。 iPhoneから送信 小林千歌子 I組 分散登校今日は重たい荷物を持ち帰ります。 3年生は明日の卒業式の動きを体育館で確認しました。明日はいよいよ卒業式。 胸を張って、卒業の日を迎えてほしいです。 卒業式の準備 代表生徒の練習明日は素晴らしい卒業式となるよう準備しています。 副校長 自習課題?(3月18日)・文字が読みにくくて、申し訳ありません。 ・提出課題です。明日、誰かに何かを提出してください。 ・解答は、あなた自身の心の中に。 自習課題(3月17日) 解答・文字が読みにくくて、申し訳ありません。 ・e-ラーニングを家庭学習にご活用ください。 国語科から上祖師谷中学校の生徒の皆さんへ文章を読んで考えるということは、感性を磨くきっかけにもなります。 本日は古文です。現代語訳ものせていますのであわせて読んでみてください。 古文 ゆく河の流れは絶ずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖と、またかくのごとし。 現代語訳 河の流れは絶えることなくどこまでも流れていき、しかもそれは元と同じ水ではない。よどみに浮かぶ泡は一方では消え一方ではでき、長い間留まっているということがない。世の中の人とその住居とも、同じようなものだ。 音楽科より 1.2 年生へiPhoneから送信 小林千歌子 卒業式のご案内 保護者の皆様へ自習課題(3月17日)・文字が読みにくくて、申し訳ありません。 ・提出課題ではありません。 ・解答は明日のホームページで。 ・e-ラーニングを家庭学習にご活用ください。 自習課題(3月16日) 解答・文字が読みにくくて、申し訳ありません。 ・e-ラーニングを家庭学習にご活用ください。 理科室の結晶理科 茂木 国語科から上祖師谷中学校の生徒の皆さんへ高橋克彦「江戸の人々と浮世絵」より引用 文章を読んで考えるということは、感性を磨くきっかけにもなります。 短文ですので、ぜひ読んでみてください。 浮世絵とは何かという問いから始めよう。「浮世」の語源は「憂き世」であって、苦しみや悩みの多い現実を意味するものだった。それをあえてはね返そうという人々のエネルギーが、「憂き」を陽気な意味合いをもつ「浮き」に変えたのである。この発想には、苦悩や貧しさがなんだ、もっと積極的に現実を楽しもうじゃないかという、江戸の人々の意気込みが感じられる。これでわかるように、浮世絵とは、その当時の江戸の人々にとって、ありのままの暮らしを積極的に描いている作品を意味していたのである。 今だってそうだと思う人は大勢いよう。絵は写生が基本である。想像で描く作品のほうが少ない。しかし、それは、浮世絵が普及してからあたりまえとなったことで、三百年も昔の日本ではむしろ逆だった。絵師のほとんどは中国の山水画を中心に据え、仏画や肖像画を描いていた。そして、そのような絵は、寺社や大名家、あるいは大金持ちにしか所有できないものだった。 ところが、そこに版画という技術が開発された。版画のいちばん大きな特徴は、大量生産ができるところにある。つまり、絵を制作する費用が大幅に下がるということだ。絵に対して羨望を抱いていた人々の夢が、版画の出現によって果たされることとなった。といっても、庶民の関心は中国の風景画や仏画に向かっていない。もっと華やかで、しかも、自分たちの生活に密着した作品が欲しい。その欲求が浮世絵を誕生させたのだ。 浮世絵……江戸時代に流行した、人々の生活の様子などを、筆や版画で描いたもの。 山水画……山や川など自然の風景を素材にして描いた絵画。 仏画……仏の姿や仏教に題材をとって描いた絵画。 羨望……せんぼう、うらやましく思うこと。 高橋克彦「江戸の人々と浮世絵」より 卒業式の準備をしています。本日16日は卒業式に向けての準備です。教員が力をあわせて体育館の準備です。 心に残る式にするためにも教員一丸となって頑張ります。 副校長 |
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