社会【信長・鉄砲・武田氏】といえば?戦国時代後期、信長・家康の連合軍が当時最強と言われていた武田軍団を鉄砲を活用して打ち破った有名な合戦が【長篠の戦い】でした。 学校閉庁期間を利用して、現地を訪問してみたのですが… まず、地形は平地でない。意外と山がちでびっくり!長篠の戦いは平地での銃撃戦というより、山間の窪地での戦いというイメージです。(写真) 次に、織田・徳川軍と武田軍の陣地間が意外に近くてびっくり!わずか100メートル程度。まあ、その間には水田や小川があったりするので、先に攻めた方が不利になるのは確実ですが。(写真) 最後に織田・徳川軍の【馬防柵】は平地でなく、背後の小山の麓に設置されています。これでは攻める武田軍は小山に陣を敷いた織田・徳川軍の【山城】に騎馬で突撃をかけるようなもの。とあわせ、損害が大きくなるばかりです。(写真) 結局、背後を守る【鳶ノ巣山砦】を落とされ、織田・徳川軍に挟み撃ちにされた武田軍は、一か八かの突撃をせざるを得なかったという理由がよくわかりました。【百聞は一見に…】とはまさにこのこと。それがよくわかった一日でした。 社会科 平田正幸 |
|