『お知らせ・TOPICS』のコーナーでは、「今日のできごと」や「おしらせ」など更新された順に砧中の生徒や教育活動の様子を紹介しております。

社会 実地踏査【長篠の戦い】?

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2つの川が交わる台地上に戦国時代後期頃築かれていたのが【長篠城】です。(写真・現在は跡地のみ)
武田氏が領する甲斐の国(山梨県)と徳川家康が領する三河の国(愛知県東部)の国境の要所で【難攻不落の城】として有名でした。
 
 それにしても実際に行ってみると、川の合流地点にある▼(逆三角形)をした城の下側の二辺は、川の急流と切り立った崖で攻城は不可能。守備兵は城の上側の一辺だけに【全兵力】を集中し、攻める敵兵に土塁の陰から弓鉄砲を打ち掛けることができます。そして当然その前には空堀が攻城側の兵の行く手を遮ります…。(写真) 
攻める側は大変でしょう。

 結局、短期で攻めとれなかった武田勝頼は織田・徳川の援軍を迎えてしまい、城から少し離れた【設楽原(したらがはら)】で両軍主力同士が激突(長篠の戦い)となってしまいましたが、さて、皆が武田勝頼の軍師(相談役)なら、この城どう攻め取る?(写真)

(参考 当時、弓・火縄銃・火縄銃を大型化した大鉄砲(大筒)はあり。但し砲弾が爆発する大砲は存在しない。(ミサイル・ドローンも当然なし)。
 城兵は500人。攻め手の武田軍は13000人。長篠城正面からの力攻めをすれば落ちるが1000人単位で死傷者が出て御大将(武田勝頼)の信頼も同時に落ちるので犠牲者はできるだけ少なく落としましょう。
 よって城を取り囲んで兵糧攻めを武田軍はしましたが11日目以降は38000人の織田・徳川連合軍が来ますので、それまでに落とすこと。  
 城内に小川があり、水は豊富。どこかでせき止めても城内から崖下へ降りる小道があり水は汲めそう。

 落城させたら大手柄。きっと武田軍の侍大将になれます。(多分)

 外国の歴史授業ではこのような討論もよく行うそうです。教材化してみようかな)

社会科担当 平田正幸。

 
 
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