『お知らせ・TOPICS』のコーナーでは、「今日のできごと」や「おしらせ」など更新された順に砧中の生徒や教育活動の様子を紹介しております。

生徒一人ひとりに応じた支援を

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思春期にあたる中学校3年間では、中学生は様々な悩みに直面します。

自分とは何なのか?
集団の中での自分の存在価値は?
将来自分はどうなりたいのか?
周囲からどう思われているのか?

答えがすぐに見つからないからこそ、その悩みは深く、長期間続いていきます。その間、子どもは不安に苛まれ、出口を見つけることが永遠にできないように感じられるものです。

大人である私自身も、かつては同じような苦しみの中にいたように思います。”いたように思う”というのは、過ぎ去ってしまうと、いつしかその悩みを客観視してしまい、当事者としての意識が薄らいでいると感じているからです。

そんな大人である私が、悩みの渦中にある子どもたちに向き合う時、すぐに子どもたちを正解の出口へと導こうとしてしまいます。「みんなそうだったよ、何とかなるよ」など過去の自分を美化するような応接をしてしまうこともあります。その言葉は悩んでいる当事者の心に響くことはなく、「大人はわかってくれない」といった不信感だけが子どもの中に残ることになります。

今、大人としてできること、かつて同じ悩みを抱えていた大人としてできること、それは思春期の子どもをありのまま受け入れ、その悩みに寄り添い、今はまだ見えない出口へと向けて、一緒にゆっくりと歩むことではないだろうか、と考えています。


砧中学校では生徒一人ひとりの状況を、まずは学年で共有しています。そして状況によっては学校全体でも共有し、その生徒の状況に合わせた支援の仕方を考えています。集団に入りづらい生徒には別室での学習機会を提供したり、直接教員と話をしづらい生徒へは、生徒や保護者の了解を得てロイロノート等での対話を重ねたりしています。

中学校卒業後の進路は年々多様化しています。都立高校の中にもチャレンジスクールやエンカレジスクールなど、学び直しの機会を提供する学校があります。私立高校等ではオンライン学習を中心としたり、登校日を自分で指定できる学校も増えてきています。学級という概念を見直し、少人数や個別学習を基本とする学校もあります。それらの学校への進学を希望する生徒へは「集団」というシステムに適応させるのではなく、その生徒の実情に合った学びの機会を提供するべきだと考えています。

自分に合った進学先で、中学校時代には叶わなかった自己を実現できる機会を得て、将来への道筋が少しずつ見えてきたと報告のため来校される卒業生もいます。中学生の頃の悩みもまた、今の自分の大切な一部であると語ってくれた卒業生もいます。

悩んでいる生徒にとっての出口、ゴールはみんな同じでなくてもいいと思います。一人ひとりに応じたゴールのためには、中学校での学びの機会も画一ではなく複線型に変えていく時代だと思います。

ご家庭で何かお困りの事がございましたら、いつでもご相談ください。相談窓口は、今一番相談しやすい教職員がお受けいたします。もちろん、管理職でも大丈夫ですよ。


校長 建部 豊

「誰のためか」を考える

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数年前のことです。3年生との面接練習終了後に、私は生徒から質問を受けました。「面接の時、中学校生活で一番頑張ったこととして、ボランティア活動と答えていいでしょうか?」。私には最初その質問の意図が読み取れませんでした。よくよく聞いてみると、その生徒はボランティアで頑張ってきたけれど、それを面接で言うことに悩んでいたのです。

なぜ、その生徒は悩んでいたのでしょうか?

ボランティアとは他者のために奉仕することです。しかし、面接で自分のPRとしてその取り組みを主張した時点で、それは他者のためではなく、自分のために取り組んできたことになるのでは、と自問していたのです。

私は即答できませんでした。いや、即答してはいけない気持ちになっていました。その生徒の問いは、まさにボランティアの本質に関わることであり、表層の知識だけで安易に答えられるものではないと感じていたからです。


「誰かのため」という意識の中には、「自分のため」という意識が紛れ込んでいることがあります。「あなたのためを思って」と言われると、そう言われた側ではなんとなく違和感を覚えてしまいます。「あたなのため」に「してあげる」という「押しつけ」が透けて見えるからでしょう。そして「あなたのため」にしたことで自分の思い通りの結果にならなかった場合は、「これだけしてあげているのに」という不満につながることも多いようです。それは結局自分の思い通りにならない、つまり自分のためだったことになります。

私に質問してきた生徒は、「誰かのため」に取り組んできたことを、純粋に誰かのためにしたかったのだと思います。決して面接で答えるための手段としてボランティアをしてきたのではない、という思いから悩んでいたのかもしれません。

さて、生徒のみなさんはどう考えますか?実はこの話題は1学期の朝礼時に全校生徒を前にしてお話ししたものです。憶えていましたか?あれから半年近くになります。生徒の中にはその事を考え続けて、私のところまで、自分はこう考えると伝えに来てくれた生徒も何人かいました。半年近く私がこの問いを生徒に投げかけたままにしていた理由、それは安易に面接時の正解だけを求めてほしくなかったからです。簡単には辿り着けない答えを探し続けること、それも学校での大切な学びです。

この問いに対する面接時での模範解答はいくつか考えられます。しかしその前に一人ひとりが自分に問いかけて、自分としての答えを探してみることが大切だと思います。即答された模範解答は、悩み抜いて自分の内から出てきた答えより、忘れるのも早いようです。

今後このテーマは『富岳の眺め』などでも取り上げていく予定です。


3年生の面接練習が始まりました。この機会に面接のテクニックだけを学ぶのではなく、深く考える、試行錯誤するという体験の機会となればと願っています。


校長 建部 豊

※参考文献
『「利他」とは何か』
伊藤亜紗 編著 集英社新書
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