学校日記

6月3日全校朝会 同窓会 山崎勝弘さんのお話

公開日
2013/06/03
更新日
2013/06/03

今日のできごと

皆さんお早うございます。 私は今から59年前の昭和29年に駒沢小学校を卒業した山崎勝弘と言います。
昨年の3月12日の朝会で「駒沢小学校のはじまりについてのお話」をしましたので覚えている人もいると思います。

今から63年も昔、昭和25年頃まで駒沢小学校の正門がある北側の道路には
学校の校舎に沿って小川が流れていました。
この川は「品川用水」と言い、江戸時代の初めから約290年間も玉川上水から
品川まできれいな小川が流れていました。
この川は子供たちの良い遊び場になっていて川には鮒や鯉、ドジョウやエビガニ、メダカなどが沢山いました。
夏にはホタルがでてホタル狩りも出来ました。
そして川岸にはケヤキなどの大きな木が並んで生えていました。

4年生のある日のこと、木造校舎の一番東側の2階の教室で授業をしていた時のことでした。
授業中に何気なく北側の品川用水の方を見ていた私の目に、長くて太いひもの様なものが音も立てずにゆっくりと動いて行くのが見えました。
目を凝らしてもう一度見ると大きなケヤキの木の枝から枝へ2メートルもある大きな蛇「青大将」が渡っているところでした。
思わず「蛇だ」と叫びたいところでした。しかしクラスの皆は気が付いていなかったので大声をあげれば授業が中断すると思い、顔は先生の方に向けながら目は蛇の方をジッと見ているうちに見えなくなりました。

青大将という蛇は大きいのですが毒はなくカエルやバッタなどを餌にして昔の世田谷では田んぼや草原で度々見ることができました。

さて駒沢小学校が今の新しい校舎に建て替わるとき、前の校長、岩谷校長先生が学校の北側に品川用水が流れていたことを記念に残すために、正門を出て左側にある大きな2本の桜の木の横に水遊びができる循環式の「水の流れ」を作ってくださいました。

昔の品川用水はこの下を通り環状7号線に沿って品川の方へ流れていたのです。
                              
しかし美しかった小川、品川用水も世田谷の土地に多くの人が住むようになり
家を建て開発され始めると昭和25年頃から次第に埋め立てられ道路にされてしまいました。

皆さん、この品川用水の記念である「水の流れ」を見たら武蔵野と呼ばれた昔の世田谷が自然いっぱいで田んぼや畑、雑木林に囲まれ、子供たちが元気よく遊んでいた姿を思い出してください。