学校日記

令和7年度 同窓会総会開催

公開日
2025/06/05
更新日
2025/06/05

同窓会

「令和7年度 同窓会総会開催」


6月1日(日曜日)に41名の方にお集まり頂き、同窓会総会が開催されました。

場所:八幡小学校ランチルーム


第1部(総会)

1)根来会長の挨拶

 八幡小の卒業生は2万人程となり、中には有名人をかなり輩出しています。

 これからはこういう方々も取り入れられる組織づくりを考えていきたいと思っています。

 皆様もご協力をお願いします。


2)名誉会長(阪田校長)の挨拶

 卒業生の方々にはいつも八幡小学校のことを支えて頂きありがとうございます。

 在校生の子供たちも長い歴史を持つ学校であることを認識して日々を送っています。

 今、校舎の改築に向けて準備が始まりました。

 着工は5年ほど先になりますが、どのような学校にするかを近所の方、PTA、子供たちの意見も取り入れて

 行きたいと考えています。

 また、先日運動会が行われましたが、熱中症を考え昔と比べるとコンパクトになっています。

 さらに、リンゴの木で繋がった飯田市丸山小学校との交流を深めており、修学旅行で東京に来るそうですが、

 八幡を訪ねるという計画案もあるそうです。

 これからも卒業生の皆様には宜しくお願いします。


3)議事として以下の議題が採り上げられ、承認されました。

 ・前年度の活動報告、会計報告、会計監査報告

 ・新年度の活動方針、役員紹介



第2部(親睦会)

1)歓談「思い出を語ろう」

 ・宮下美智子さんのお話(S19年卒)

  卒業当時は戦争中で、卒業式もなく、卒業証書も貰っていませんし、校歌もまだありませんでした。

  卒業の年に終戦を迎えました。私の後に卒業された皆さんは幸せだなと思います。

  今、ご縁で6年生の「平和学習」に8年間生徒に戦争のお話をしに来ています。

  疎開時に朝礼で全校生徒の前で国語の教科書を読まされ、最初はブルブルとしましたが、その経験から度胸

  がつき、話をするのも平気になりました。

  また、授業の前に各天皇の名前を言わされ、空襲時の爆風対応として目と耳を塞ぎ、机の下に入るという練習

  を毎日行っていました。

  戦争中は校舎の半分は軍人さんが使用しており、女子は近づくなと言われていました。

  そして、小学校時代にトットちゃん(黒柳徹子さん)とケンカをしたことがあります。

  彼女は自由ケ丘のトモエ学園にいたので、友達とこちらに来た時に「あなたたちは自由が丘で遊びなさい。

  ここは九品仏の子供が遊ぶ場所だ」とケンカをした覚えがあります。

  そのころからお互い、「キイキイきゃあきゃあ」と勝気な子供でした。

  また、自由が丘にあるモンブランと魚菜学園の創設者を知っており、二人が軍隊で同じ船に乗っていた縁で終

  戦後に、食べ物店を始めたことを聞いています。また、私が珈琲を初めて飲んだのもモンブランでした。

  さらに自由ケ丘の駅の周りに闇市があったことも覚えています。

  当時は食べ物が無く、どんぶりを持ち、配給に並んだ経験もあります。今は捨てるほど物がある時代となりま

  したが、どうなのでしょうか。


 ・久保敏さんのお話(S20年卒)

  今回お話したいのは1,2年で習った長田美雄先生についてです。

  先生の素晴らしいところは生徒に詩を作らせる、また作文をさせることにより表現力や文章力が養われ、将来

  に役に立ちました。

  今年で92歳になりますが、受けた教育のなかで長田先生の教育が最高なものだったと思います。

  非常に感謝しています。

  今はスマホやタブレットの時代で、どうやってそういう能力を養うかが教育の課題になっています。

  ほかにもいい先生がおられ、この学校に入れて良かったです。

  また、当時はよく歩いて色んなところを訪れ、周りの景色を感じ、それを表現していました。

  多摩川の川べりを歩き、等々力渓谷や二子玉川まで行ったこともあります。

  等々力渓谷では滝のところにあった粘土を採ったことも思い出です。


(進行幹事)

 過去の総会講演で久保さんが新幹線開発の話をされたなかで「日本は農耕民族でネジ一つとってもみんな

 で一緒に考え、協力して開発したことで今の新幹線がある」という言葉が印象深かったです。

(久保さん)

 日本人の考え方は、新幹線だけの話ではないのですが、発注側と受注側がケンカするのではなく、一緒に考え

 ていくという協力精神があると思います。それは常に移動する狩猟民族と違う、土地に定着する農耕民族の血

 ではないかと考えます。

 どちらがいいかは一概には言えませんが、日本の教育にもその流れがあると思います。


(進行幹事)

 少し話は変わりますが、アカデミー賞に世田谷区立塚戸小学校を舞台にしたドキュメンタリー映画がノミネー

 トされました。残念ながら受賞は逃しましたが、生活そのものが教育という考え方の映画で、見ると先生方の

 ご尽力に頭が下がる思いでした。

 (注釈:第78回アカデミー賞短編ドキュメンタリー部門「小学校〜それは小さな社会〜」)


 次に、出席された方々より学校に関する思い出などを伺いました。

(S34年度卒の方々)

 ・当時、畑や空き地が多く、そこに秘密基地を作って友達と遊んでいました。

 ・6年間同じ先生で、全員同じクラスという幸せな学校生活を送れました。現在もお付き合いが続いています。

  また途中で引っ越しても通うことを許してくれた時代でした。

 ・今回は夫婦で出席しました。現在地域の仕事をしていますが、私より上の方が頑張っているのを見て感服い

  たしました。

 ・生徒が多すぎ、教室が足りなくて2部授業でした。

(S42年度卒の方々)

 ・今日はたまたま同窓会開催の掲示板を見て参加しました。

  目の検査の時、目をくりぬかれるかと思い逃げ回った記憶があります。

 ・父も卒業生で運動会の時に参加してくれました。

  また、母がトモエ学園で黒柳さんと同級生で、窓際のトットちゃんの映画を手伝ったそうです。

 ・私の名前は知らなくてもアサヒ堂の息子ですと言えば分かると思います。皆さんに可愛がって頂きました。

(S38年度卒の方々)

 ・屋上の手すりの外で校長先生とゴミ拾いをした楽しい思い出があります。

 ・私も引っ越したのですが転校が嫌で3年間遠方から通いました。

 ・担任の先生が荒っぽい方で、ピンタを受けたこと、教室で煙草を吸うので煙草を買いに行かされたことも

  ありました。でも、教育熱心で有名校に多くの生徒を進学させてくれたいい先生でした。

 ・(前の先生の続き)でも女の子には優しく、いじめっ子がいると泣きながら訴えると翌日には席替えをして

  くれました。

 ・勉強した覚えはなく、とにかく具合が悪くても学校に行け、行けば治るといわれ送り出されていました。

  そして多摩川台公園などで野球三昧の日々を送っていました。

 ・学校の近くなのですが、最近の運動会はやっているのかしらと思うくらい静かで寂しくなったと感じていま

  す。今の子供たちが可哀そうに感じます。


 ・ご縁があり誘われ参加しました。30年前から変わらない学校が改築と聞き、変わる前に来られてよかっ

  たと思います。(H9年度卒)

 ・宮下さんが機銃掃射を受けた戦闘機の話を聞きに来たのですが、思っていた機種と違っていたので勉強を

  し直します。(S45年度卒)

 ・校庭が土で真ん中に桜の木があり、そこで騎馬戦のような遊びをしました。(S32年度卒)


(井下副校長先生)

 伝統があって校舎も古くなっていますが、昔はどうだったのかと思いながら校舎の見回りをしています。

 そして、皆様の学校への思いを繋げる役割をしていきたいと思います。

 ちなみに運動会の話がありましたが、近隣の皆様のご協力は欠かせません。

 これからも宜しくお願いします。


(阪田校長先生)

 色々とお話を聞かせて頂きありがとうございます。

 皆さんの思いを胸に刻み、胸が熱くなりました。

 お預かりしている子供たちにも学校が大好き、早く学校に行きたいと思ってくれる学校にしていきたいと思い

 ました。

 今日はありがとうございます。


2)校歌斉唱

  浅井さん(S38年度卒)に同窓会から寄贈した電子ピアノで伴奏して頂き、校歌の斉唱を行いました。



最後に、集合写真を撮り、和やかな雰囲気で閉会しました。


(幹事より)

宮下さんのお話を聞き、昔のことを知っているまさに生き字引だなと感心しました。

さらに、久保さんのお話に出てくる長田先生は校歌の補作をされた方だそうです。

世代も異なるにも関わらず、八幡小学校で学んだというだけで心が通うものがあると改めて実感しました。

また、今年も去年に引き続き中学生が参加してくれました。

親睦会の途中で抜けた子もおりましたが、大先輩の話を熱心に聞いていた子もいました。

その後、校庭開放で久しぶりに会った仲間と楽しく遊んでいる姿をみて微笑ましく思いました。

今回も同期の方が仲間とともに多く参加して頂けました。

同窓会総会が同期で集まるきっかけになれば嬉しいです。

これからも八幡小学校が地域の皆さんに愛されることを祈っております。

引き続き八幡小学校のことを宜しくお願いします。


来年も6月に総会を開きますので、同期の方を誘って御参加下さい。