全校朝会(9月12日 同窓会 柴田靖夫様のお話)
- 公開日
- 2011/09/15
- 更新日
- 2011/09/15
今日のできごと
創立11周年を記念して、今朝は同窓会の柴田靖夫様に、駒沢小学校の思い出について「ともだち」という題でお話をいただきます。
「皆さん、おはようございます。
私は今から57年前に、この駒沢小学校を卒業した柴田靖夫と言います。
皆さん覚えていると思いますが、7月11日の朝会で「駒沢給水塔」の話をしてくれた
山崎勝弘君は、小学校で同じクラスでした。今でも、勝ちゃんと呼んで仲のいい友達です。いっしょに同窓会のお手伝いをしています。
私の小学校時代のお話をしたいと思います。
私たちの時代は、一クラス55名、一学年4クラス、220名いました。現在と比べると随分多いですね。そして、6年間クラスの組み替えはありませんでした。
ただ、私は3年生までは、秋田県で過ごし4年生で駒沢小学校に転校してきました。皆さんの中でも、転校して来た人がいるかも知れませんね。でも、転校してきて友達と話をするときに困ったことはないと思います。
私の小学生の時代は、まだ、テレビがなかったので、あまり標準語を聞くことがなく、周りの人たちは秋田の方言を話す人が多かったので、子供たちもほとんど秋田弁で話していました。
転校してきた時、皆の話している言葉が違うので、なかなか皆と話をすることが出来ません。1か月くらい学校に来ることが出来ず、登校拒否をしていました。
ただ、私の住んでいた家は、体育館の向かいなので先生が毎日迎えに来てくれていたのですが、ちゃんと学校に来れるようになるのに1か月くらいかかりました。その当時は、マンションではなく一軒家で庭も広かったので、毎日同級生が遊びに寄ってくれたので、だんだん、皆と話が出来るようになったのですが、本当の東京の小学生として勉強できるようになったのは5年生からです。
5年生になった時、生徒の数が多くなりすぎたので、三軒茶屋小学校が出来て、転校していった人たちがいます。でも、多くの人は、駒沢中学校でまた、いっしょになりました。
勉強も少しはしましたが、よく遊びました。
休み時間は、相撲か、S字作戦で遊びましたが、生徒の数が現在の4倍くらいいたので
遊び場所を確保するのが大変で、授業終了の鐘がなるとクラスの代表が走って場所取りに行きました。今話した「S字作戦」と言う遊びは、今は見かけることはありません。校庭にチュークで大きなSの字を書いて陣取り合戦をやるのですが、言葉ではちょっと説明できません。興味があって、インターネットを使える人は調べてみて下さい。昔は、全国で遊ばれていたゲームのようです。
放課後は、ほとんど野球でした。場所は、今の駒沢オリンピック公園、その前は、プロ野球の東映フライヤーズの野球場がありました。その前は、広い野原がありそこが私たちの野球場でした。
このように、一緒に遊び、学んだ小学校時代の友達の多くと今も仲良く遊んでいます。
皆さんも、これから中学、高校、そして上の学校や社会に出て行きたくさんの友達を作ると思いますが、小学校時代の友達が一番長く付き合っていく友達になると思います。
私は、秋田で3年生まで過ごしたのに、その時の友達が一人もいないのが本当に残念に思っています。仲良しでもいい、喧嘩友達でもいい、たくさんの友達を作って下さい。」