学校日記

7月1日全校朝会

公開日
2013/07/02
更新日
2013/07/02

今日のできごと

おはようございます。
(明後日から5年生が川場移動教室に行ってきます。そのため、5年生はクラス・学年・グループで協力して準備をしています。元気で楽しい移動教室になるといいと思います。)

今日のお話は・・校門の右側に、たきぎを背負って本を読みながら歩ている少年の像がありますね。
何という人か知っていますか。
二宮金次郎という少年です。 今日は、その二宮金次郎さんについて少しお話します。 なぜ校庭にあるのかなと思った人はいませんか。理由は、金次郎さんはたいへん親孝行で、働き者で、よく勉強したので、「子どものお手本」とされてきたからです。先生が通った小学校にもこの二宮金次郎さんの像がありました。
 金治郎さんは1787年、今から約230年前に相模の国、栢山村の豊かな農家に(今の神奈川県小田原市)に生まれました。金治郎さんが7歳になるころからお家の人が、「農民の子でも学問があれば、おさむらいにあなどられないですむ。しっかりと学問を積んで正しい理屈でおさむらいにものが言えるようになってもらいたい。」と思い読み書きの手ほどきを始めました。
 金治郎さんは子どものときに、働きながら読んだ本から学んだことを、大人になってから、みんなのくらしのために生かしました。どのように勉強したかというとたとえば、当時は習字のすみも筆も紙も高いので買えません。そこで、手ごろな大きさの木の箱に細かい砂を入れて、「あ」と書いては消し、「い」と書いては消し文字を覚えていったそうです。
また、朝早くから山にたきぎとりに行き、その行き帰りに声をあげて本(論語など中国の古い書物)を読み続けました。(たきぎをまちに売りに行って、生活費にあてました。)それから、米をつくときには、本を横においてうすのまわりをぐるっと一ぺん回るたびに1行ずつ読み覚え、文章の意味を考えたそうです。このように金治郎さんはとても勤勉で、勉強家でした。
金治郎さんが幼いときに、洪水で田畑が流れ失って家はだんだん貧しくなり、また、家族が亡くなったり別れ別れになったり大変な苦労を経験しますが、その後、努力して地主にまでなりました。そして荒れはてた農村を立て直し、農民たちを救ったり、借金だらけの藩を立て直したりしました。いろいろな方法で貧しさから救う手助けをしたり人にやる気を起こさせ生産力を上げたりするなど、多くの村の立て直しをしたそうです。
像の前に「勤倹力行」という4文字が書かれています。勤労(まじめにいっしょうけんめいはたらく)で倹約(せつやくをしてむだをつくらない)を努力して実行したことでも有名です。
 皆さんの中にも、一生懸命勉強したり、掃除を黙々としたり、家のお手伝いをいつもしているよという人も多くいると思います。私たちも二宮金次郎さんの考え方や生き方から学ぶことは大きいと思います。帰りに金治郎さんの像を見たときに今日のお話を思い出してください。
今日は3年生が、金治郎さんの歌を披露します。3番までありますが、今日は1番だけ歌ってもらいます。(明日の地域の人との交流会で歌います。70歳・80歳・90歳のお年寄りの方々は小さい頃金治郎さんの歌を歌ったそうで、その方々にとっては、懐かしい歌なのです。)
3年生の皆さん、ありがとうございました。 これでお話を終わります。