校長室の窓から〜『富岳の眺め』 No.6
- 公開日
- 2018/04/29
- 更新日
- 2018/05/01
校長室より
連休中、運動部は各所で春季大会や練習試合を行っている。
本校は野球部と女子テニス部の大会会場となっている。
野球部の試合を観戦中、
選手へのデッドボールにヒヤッとする。
デッドボール‥‥
☆ ☆ ☆ ☆
先日たまたまテレビでプロ野球中継を観ていた。
実況アナウンサーが解説者に問いかけた。
答える解説者の声があまりにも弱々しく聞き取れない。
「えっ? 解説者は誰?」
私は新聞で名前を確認した。
その日の解説者は、衣笠祥雄氏だった。
かつて「鉄人」と呼ばれ国民栄誉賞も受賞した名選手である。
そしてその日の解説が衣笠氏最後の解説となった。
数日後、衣笠氏の訃報が流れた。
特に広島カープファンと言うわけではないが、
カープが「赤ヘル」と呼ばれる以前から
氏の活躍を知る世代の私にとって
一つの時代の終わりを感じさせる訃報だった。
氏の功績の一つに2215連続試合出場の日本記録がある。
1979年8月、連続試合出場を続ける衣笠選手は
大きなアクシデントに見舞われることとなる。
巨人の西本投手が投げた球が、左肩甲骨を直撃。
その後骨折が判明する。
当然バットを振れる状況ではない。
デッドボールを投げた西本投手に非難が集中する。
翌日、衣笠選手は代打で登場した。
その日の巨人はエースの江川投手。
激痛をおして、衣笠選手は三度バットを振った。
空振り三振。
試合後、報道陣の取材に対して
衣笠選手は次のようにコメントしたと言う。
「一球目はファンのため、
二球目は自分のため、
そして三球目は西本くんのために振りました。」
デッドボールでの痛み
投げた投手の心の痛み
連続試合出場記録を持つ衣笠氏は亡くなる直前まで
選手の休養と健康管理の重要性を訴え続けたと聞く。
この話を朝礼で、と考えていたが
「西本くんのため‥‥」のくだりで、胸が一杯になりそうで
今回はホームページで書くことにした。
名選手が私たちに残したメッセージに感謝しつつ。