ありがとうございました
- 公開日
- 2023/03/31
- 更新日
- 2023/03/31
校長室より
小さい頃、ウルトラマンになりたかった。
でもあんなに大きくなるのは無理だとわかって、仮面ライダーになりたいと思った。
小学校高学年になると、学校の隣を通る電車を毎日見て、電車の運転手になりたいと思った。
中学1年の時、担任の数学の先生から、「お前数学良くできるな、すごいねえ」とほめられ、数学に没頭するようになった。
その頃は、父の仕事のことで時々自宅に来ていた弁護士の方を見て、弁護士になるんだ、と決めていた。
でも中学3年で「公民」の授業が始まると、「憲法」などの法律の文章や解釈がとても苦手なことがわかった。
これでは当然弁護士は無理だ・・・。
なりたいものが見つからないまま、高校に進学。
数学。好きな教科の授業なのにとにかくつまらない。中学校の時、楽しく授業をしてくれた先生がとても懐かしかった。
「自分が、高校で楽しい数学の授業をする教員になろう」
高校1年、「教員になりたい」と感じた瞬間だった。
大学は「数学科」進学。
中学・高校の数学教員免許状を取得、高校の教員採用試験に合格(当時中高の採用は別でした)。
合格後、ある市の教育委員会から「中学校の教員が足りないので来てほしい」と連絡があり、中学校の数学の教員として勤務を始め、以来10校、39年、小学校も1校ありますが、中学校の教員として勤めてきました。
教員になった頃は、校内暴力全盛期。机が校庭に降って来る、ガラスやトイレの便器が割れる、生徒の学校間抗争もある。
荒れる生徒とどう付き合うか。気持ちも辛くて、いつ学校をやめるか、と考えたこともありました。
でも、最初の学校で、部活動の生徒に本当に恵まれました。(10数年後、私が結婚する時、披露宴の司会や準備などもすべてしてもらう、そんな生徒との関係ができていました。)
2・3校目では、部活動と教科指導に没頭。独身なのをいいことに、夜遅くまで仕事の生活。
4・5・6校目、学校の中心的役割を担うようになり、いろいろな主任を任されることになりました。さらに、主幹・管理職の選考を校長から勧められ、学校運営・学校経営の道を志しました。
7校目、副校長として、学校を動かすこと、地域の大切さや教育委員会のバックアップを改めて認識しました。
8〜10校目、校長として、学校づくりに自分なりに取り組んできました。
好きで始めた教員、本日をもって区切りをつけることになりました。
まだ、教育に関わる職務は続けますが、教員としての勤務はこれで終了となります。
砧中学校では、1年間という短い期間でしたが、生徒の皆さんも、教職員の皆さんも、地域の皆様も、本当に良い方ばかりで、私にとってはもったいない勤務校でした。
1年でお別れするのは、名残惜しいばかりです。
また、皆様とどこかでお会いできることを楽しみにしております。
ウルトラマンになりたかった少年は、39年の教員生活を、本日砧中学校で終えます。
地域・保護者の皆様、そして砧中学校の生徒の皆さんに、深く感謝いたします。
1年間、本当にありがとうございました。
校長 大坂 崇