校長室の窓から〜『富岳の眺め』 No.20
- 公開日
- 2018/06/21
- 更新日
- 2018/06/22
校長室より
古びた跨線橋(こせんきょう)がある。
剥き出しの鉄骨と石階段。
昭和4年の建造当時と変わらぬ姿。
JR三鷹駅から武蔵境駅に向かう途中、
突然昭和初期にタイムスリップしたかのような光景が
眼前に現れる。
かつて三鷹の住人だった作家太宰治が「陸橋」と呼び、
この橋の上から故郷青森方面を
幾度となく眺めていたと言われる。
太宰治没後70年。
「桜桃忌」の前に一年ぶりに跨線橋を渡ってみた。
太宰治の小説は好き嫌いが分かれると言う。
私の最初の出会いは国語の教科書での『走れメロス』。
そして大学生の時に『人間失格』と『斜陽』を読んだ。
私が太宰治に魅かれたのは
ちりばめられた珠玉の言葉の数々である。
「世間とはいったい何の事でしょう。
どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。」
「優という字、にんべんに憂うと書く。
人を憂うる。人の寂しさ辛さに敏感な事、これが優しさであり、
また人間として一番優れている事じゃないかしら。」
太宰治の小説の中の言葉にハッとして、
自分の心境を繰り返し見つめ直した。
ノートに書きとめ何度も読み返した。
その時々の自分の気持ちに寄り添った言葉の数々を
彼の文章の中に見出だすことができた。
☆ ☆ ☆ ☆
私の大学時代のこと。
三畳一間の小さな下宿。
東京に頼る知り合いも少なく、
なけなしの貯金も底をつき、
食費を切り詰めていたあの頃。
空腹感と戦いながら、
部屋で過ごしていた私の所へ
下宿先のおばあちゃんがおむすびを持って来てくれた。
梅干し入りの大きなおむすび。
涙が出るほど美味しかった。
その時『斜陽』の中の言葉が頭をよぎった。
「おむすびが、どうしておいしいのだか、知っていますか。
あれはね、人間の指で握りしめて作るからですよ。」
☆ ☆ ☆ ☆
跨線橋をゆっくりと渡る。
世間の中でもがきながら、
人の優しさに支えられながら、
今、私はここに立っている。
遠く太宰治の故郷青森の方角を眺めながら、
家に帰ったら梅干し入りのおむすびを握ってみようと思った。