校長室の窓から〜『富岳の眺め』 No.55
- 公開日
- 2019/02/03
- 更新日
- 2019/02/05
校長室より
大学入試当日の朝、
私は宿泊先最寄りの田町駅から山手線に乗り、
新宿方面へと向かった。
四国香川県から二日前に上京、
前日には下見のため
入試会場の大学までの行程を確認していた。
準備は万全・・・のはずだった。
電車内で座れたこともあり、
参考書をカバンから取り出し
最後の復習に取りかかった。
(✳️前日の下見では座れなかった。ここで気づくべきだった!)
復習に熱中していた私は
車内アナウンスの駅名に関心も払っていなかった。
しばらくして次の駅名がアナウンスされ、
私は前日との違和感に参考書から目をあげた。
「次は、かまた〜かまた〜」
「かまた? 蒲田!?」私の中で駅名が漢字に変換された。
「つかこうへいの戯曲『蒲田行進曲』で有名なあの蒲田?」
間違いなく昨日はこの駅に電車は停車しなかった!!
不安が暗雲のように胸の内に広がったものの
電車を降りて乗り換える決断ができない私。
電車は蒲田駅を発車した。
そして大きな川を渡り始めた。
間違いない、私は電車を間違えた!!!
次の川崎駅で電車を飛び降りた。
ホームの路線図を確認したが、
クモの巣のような路線図に自分がどこにいるのかもわからない。
焦った。
夢であって欲しいと願った。
人にぶつかり、叱られ、現実だと理解した。
泣きそうになりながら
ふと見ると数メートル先に駅員が立っていた。
藁(わら)をもすがる思いで駅員の腕をつかんだ。
田町駅での乗り間違いから説明し始めた。
年配の男性駅員は、
私が乗ったのが山手線ではなく、
京浜東北線だと教えてくれた。
そして、腕時計を見て、
私の肩をやさしくたたき、
笑顔で丁寧に説明してくれた。
「大丈夫ですよ。東海道線で品川まで戻り、
山手線に乗り換えれば、余裕で間に合いますから。」
宿泊先を早めに出ていたこともあり、
私は入試会場に時間までに到着することができた。
もちろんそれだけではない。
あの年配の駅員の丁寧な説明と
私を安心させる笑顔がなければ、
私はパニックのままだったかもしれない。
🚉 🚉 🚉 🚉
数か月後、
東京での大学生活を始めた私は
川崎駅に降り立った。
入試当日、私を助けてくれた
あの年配駅員にお礼を伝えるために。
しかし、何人かの駅員に尋ねてみたものの
その年配の駅員の風貌(ふうぼう)に該当する職員は
結局誰だったのか、最後までわからなかった。
JRが「国鉄」、山手線と京浜東北線が「国電」と
呼ばれていた頃の話である。