校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.65
- 公開日
- 2019/04/21
- 更新日
- 2019/04/21
校長室より
アメリカの小話から。
テキサス州に住む家族の出来事。
ある夜、次の休日の旅行の計画について
家族の間で話し合いが行われた。
家族の一人が提案した。
「アビリーンの町に行こう」と。
話し合った結果、その提案を受けて
アビリーンの町へ家族旅行する事が決定した。
休日、家族の旅が始まった。
しかしアビリーンまでの道中は
長く、暑く、埃(ほこり)っぽく、
目的地に着くまでに家族全員が疲れ果ててしまった。
さらにその町には見所がほとんど無かったのだ。
一人が不満を口にする。
「だから私はアビリーンには反対だったのだ」
もう一人が問い詰(つ)める。
「もともと誰がアビリーンと言い出したのだ?」
最初に提案した一人が答える。
「私はただ提案しただけで、行きたいとは言っていない」
話し合って何かを決めることは大切である。
しかし、時には無責任な結論となる場合も。
「アビリーンの逆説」と呼ばれるこのお話、
私たちが話し合いをする際に
心に留めておきたいエピソードである。
🚙 🚙 🚙 🚙
「対話的な学び」が学校に求められている。
かつての講義形式の授業が見直され、
話し合い活動が取り入れられるようになった。
もちろん、これからの時代
「話す力」を身につけることは必要である。
とは言え、話し合いには落とし穴もあるのだ。
− だから私は反対だった −
大人の話し合いでもよくある光景。
イギリスのEU離脱(りだつ)問題も
もしかしたら「アビリーンの逆説」か。
✏️ ✏️ ✏️ ✏️
SNSで様々な意見が飛び交う今の時代。
ネット上ではあらゆる問題について議論が活発だ。
それらの議論を見ていると
議論の相手を一方的に批判する書き込みも多い。
確かに議論は相手と対立するものだ。
それでも相手を中傷ことには疑問を感じる。
物事を決めるために「議論」は必要だが、
砧中学校での取り組みでは、
まずは「対話」から始めたいと思う。
このコラムの最後に
前回取り上げた小説「竜馬がゆく」を再び。
主人公竜馬の言葉から。
俺は議論はしない。
議論に勝っても
人の生き方は変えられぬ。