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校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.114

公開日
2020/03/14
更新日
2020/03/14

校長室より

No.114【不安な日々の中で】

運河沿いのその家へと入った時、
私は急に気持ちが沈んでいくのがわかった。
長年、訪れたいと願っていた家なのに
不安な気持ちに襲われたのだ。

3階にある本棚、その本棚の裏側に
隠れ家の入り口となる秘密の扉が現れる。

オランダの首都アムステルダム。
その家・・・アンネの家には
毎年多くの観光客が訪れる。
しかし、私が訪れたその日は観光客が少なく、
当時を偲(しの)ばせる静寂の中にあった。

1990年夏の日のことである。

🏠

『アンネの日記』

1942年7月8日、雨の降りしきるアムステルダム。
ナチスによるユダヤ人迫害から逃れるため、
フランク一家は運河沿いの隠れ家に移り住む。
父母と姉、そして13歳のアンネの4人家族。
他の家族も含めた共同生活は
外部に物音が漏れないよう注意を払う
緊張を強いられるものだった。

そんな生活の中でも
アンネは日々の出来事や揺れる思いを
キティと名付けた日記に綴(つづ)っていく。
思春期の複雑な心の移ろいは
80年近く経った今も決して色褪(あ)せない。
もちろん、綺麗事ばかりではない。
大人への不満や反抗心、理由のない苛立ち、
そして異性に対する関心も。

隠れ家がいつ発見されるかもしれない不安の中、
それでも未来を信じたいと願う思いが
日記の言葉一つ一つから感じとられる。

息を潜めて暮らす日々にあっても
アンネは信じ続けた。
いつの日か戦争が終わり、
家族が自由になれる日が来ることを。

日記の言葉から
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
薬を10錠飲むよりも
心から笑った方が
ずっと効果があるはず
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
私は理想を捨てません。
どんなことがあっても
人は本当に素晴らしい心を持っていると
今も信じているからです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


1944年8月4日、
隠れ家がナチス親衛隊よって発見される。
日記の記述は
その3日前の8月1日で終わっている。

✒️

アンネの日記を悲劇の物語と言う人がいる。

もちろん、日記を書いている間、
アンネは自らの運命を知るよしもない。
後の時代を生きる私たちは
アンネの家族の行く末を知っているため
つい日記を悲劇的な視点で読んでしまう。

だが、アンネは極限の生活の中でも
未来への希望を持ち続けていたからこそ、
この日記は今なお私たちの心に響くのであろう。

今、世界を震撼させている感染症。
それが果たしていつ終息するのかを
私たちは未だ知ることはできない。

そんな不安な日々の中、
この言葉をふと思い出した。

「世界がこれからも笑顔で溢れますように」

これは30年前、
アンネの家を去る際に
出口近くに置いてあった
来訪者ノートに私が記した言葉であった。