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校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.136

公開日
2020/08/22
更新日
2020/08/22

校長室より

No.136【笑(わらい)の大学】

台東区浅草の本法寺には
「はなし塚」と呼ばれる石碑がある。
戦時中、笑い話は時代にそぐわないと
落語が上演を禁止されたり、
自粛を求められたりした。
この「はなし塚」には
上演できなかった台本などが
落語家たちによって埋められている。

落語家たちはその後、
扇子を銃に持ちかえ
戦地へと送られて行った。

🎭

劇作家・三谷幸喜の脚本の中で
私が好きな作品に『笑の大学』がある。
舞台、映画、ラジオでも上演されている。
人間の内側から自然とにじみ出る笑い、
笑いの奥深さを堪能できる脚本である。


戦争の影が迫る昭和15年、
観客を笑わせる喜劇は不謹慎だと
厳しい検閲が入ることになる。

喜劇の上演を禁止したい検閲官。
何としても喜劇を上演したい劇作家。
検閲官と劇作家による駆け引きが続く。
検閲官は何度も台本の書き直しを命じる。
「笑い」の部分を削除させようと。
しかし、劇作家は挫(くじ)けない。

その演目は『ジュリオとロミエット』。
『ロミオとジュリエット』のパロディである。

笑ったことは一度もない、と言い切る検閲官。
その検閲官がこの喜劇の上演を
決して認めるはずがない。

西洋の話ではなく日本の話にしろ、
「お国のため」という言葉を必ず入れろ、と
無理難題を命じる検閲官に対して、
劇作家は何度も書き直してくる。
そして、書き直せば書き直すほど
その台本は面白くなってゆくのだ。
怒りながら笑う検閲官。
泣きながら笑う劇作家。
気がつけば二人の駆け引きが
爆笑の作品を創り上げていた。

(^O^)

この劇作家にはモデルがいる。
昭和初期、喜劇作家として活躍した菊谷栄。
たぐいまれな笑いのセンスで
戦前の喜劇界をリードした彼もまた
ペンを銃に持ちかえ、
戦地に赴(おもむ)き、
中国で戦死している。


『笑の大学』のラストシーン。
劇作家は召集令状を受け取る。
これまでの笑いの全てを注ぎ込んだ台本、
決して幕が上がることのない喜劇、
それでもその作品が完成したことに
彼は心から感謝している。
劇作家は悲しそうに微笑み、
検閲官に深々と頭を下げ
静かに立ち去ろうとする。

検閲官はその後ろ姿に向かって
当時の検閲官として
口にすべきではない言葉を贈る。

「お国のため」に死んではいけない、
必ず生きて帰ってこい、
そして必ずこの作品を上演するんだ、と。

その言葉は劇作家の作品に対する
最大限の賛辞であった。