校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.149
- 公開日
- 2020/11/21
- 更新日
- 2020/11/21
校長室より
No.149【一人一台】
まだ白黒テレビが各家庭に
一台しかなかった頃の話。
お茶の間でテレビを見ながら
明治生まれの祖母が
ニュースアナウンサーに向かって
必ず挨拶をしていた。
「今晩は、7時のニュースです」と
アナウンサーが挨拶をする。
すると祖母も丁寧に頭を下げながら
「はい、今晩は」と挨拶を返すのだ。
幼かった当時の私にとっては
その姿が滑稽(こっけい)で仕方がなく
こう言って祖母を冷やかしていた。
「画面には挨拶しないんだよ」
それでも祖母は
平然と挨拶を続けていた。
祖母の口ぐせを思い出す。
挨拶とは相手を見ながら
心を込めて行うものだと。
明治生まれの祖母自身、
幼い頃からそう教わってきた。
祖母が大人になってから突然現れた
テレビという新たな電器製品。
その相手がたとえ
画面の向こう側の人であったとしても
相手が挨拶をしてくれば
挨拶を返すことが当然だと信じていた。
👵
パソコンが普及し始め
仕事の場面において
一人一台のパソコンが
支給されるようになったのは
今から20年ほど前のことである。
その当時私は中学校ではなく
ある区の役所に勤務していた。
朝出勤すると
パソコンを立ち上げ、
パソコンに向き合うところから
一日がスタートするようになった。
あらゆる機能がパソコンの中にある。
紙に下書きしていた原稿も
電卓を使って計算していたデータも
パソコンで処理できるようになった。
パソコン一台あれば
ほとんどの仕事が完結した。
いつしか私は
朝パソコンを立ち上げ、
画面に向き合っていることで
仕事をしている気分になっていた。
🖥️
ある朝のこと。
早朝から出勤して
溜(た)まっていたデータ処理を
パソコンを使って行っていた。
出勤している職員はまだいない。
仕事は順調に進んでいた。
その時、誰かが私の背後から
声をかけてきた。
「おはよう」
声をかけられた時、
私はパソコンに集中していた。
そのため画面を見つめたまま
無意識に挨拶を返していた。
「おはよう…」
次の瞬間、背後にいるその誰かが
こうつぶやいたのだ。
「画面には挨拶しないんだよ」
遠い記憶の彼方(かなた)から
呼び戻されてきた言葉。
亡き祖母の面影が
一瞬脳裏に浮かんだ。
私はハッとして
背後を振り返った。
そこに立っていたのは
もちろん祖母ではなく
私の上司であった。