社会授業研究 過去からの伝言
- 公開日
- 2021/01/30
- 更新日
- 2021/01/30
おしらせ
江戸時代、京都への幹線道路だった旧東海道。江戸時代の人は14日程度で到達したそうです。その途中、三島から少し過ぎた東田子の浦駅付近、立圓寺に【望嶽の碑】という江戸時代後期(約200年前)の石碑があります。
石碑の碑文には
【私はここから見る田子の浦の富士山が一番美しいと思う。この碑文を読む後世の人よ、そう思いませんか? 尾張藩藩医 柴田景浩】と書いてありました。その光景が写真です。写真左の三角形の石碑が望嶽の碑。
さて、皆さんは柴田藩医の問いかけにどう答えますか?(修学旅行で京都へ行く際には三島駅を通過してしばらく経ったところで見える景色です。奈良時代の万葉集に掲載されている【田子の浦にうちいでてみれば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ】も、ほぼこの光景かと思われます)
第三学年社会科担当 平田正幸