校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.162
- 公開日
- 2021/02/06
- 更新日
- 2021/02/07
校長室より
No.162【本能寺の変】
明智光秀は本能寺へは
行かなかった・・・
今、新たな説が浮上している。
新しい史料の発見により
本能寺の変に際して
光秀は8kmも離れた
鳥羽で待機していたというのだ。
織田信長から厚い信頼を得ながら
光秀は謀反(むほん)人となった。
なぜ光秀は信長を裏切ったのか?
現在もまだ解明されていない
歴史のミステリーである。
⚔️
怨恨説
黒幕説
野望説
病気説・・・
これまでも様々な説が
主張されてきた。
謀反人は卑怯(ひきょう)者として
人々からの反感を買いやすい。
実際に信長の仇(あだ)を討った
羽柴(豊臣)秀吉の行動は美談として
後世に語り継がれてきた。
だからこそ映画やドラマでは
秀吉が主人公として扱われ、
光秀は脇役に甘んじてきた。
時には敵(かたき)役として。
しかし様々な史料から
光秀は実直で責任感が強く
信望が厚い人物だと推測されている。
光秀にとってはやむを得ない事情から
信長を討つに至ったのだと
歴史的な評価も変化してきている。
確実に言えるのは
光秀がかつて治めた領地の人々は
今も彼を慕い、そして敬(うやま)い、
数々の祭礼を通じて
光秀への感謝の心を
受け継いでいるということだ。
光秀は最後まで
信長の遺体を発見できなかった。
秀吉は信長の生存を世間に広める。
多くの武将たちは
信長生存の可能性がある限り
光秀の側につくことはなかった。
📺
ドラマ『麒麟がくる』
大河ドラマで初めて
明智光秀が主人公となった。
天正10(1582)年6月2日、
本能寺の変。
光秀が本能寺にいたかどうか、
歴史的事実は別として
ドラマ的には
光秀と信長が
対峙(たいじ)する場面を
私は心から期待している。