砧中TOPICSメニュー

砧中TOPICS

校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.201

公開日
2021/11/06
更新日
2021/11/12

校長室より

No.201【変に淋しい気持】

100年程前に書かれたその物語は
なぜか気になる結末を迎える。

志賀直哉の短編小説『小僧の神様』

物語の主人公は貴族院議員のA、
今で言う国会議員にあたる。

ある日のこと、Aは街で
秤(はかり)屋に奉公する
小僧の仙吉を見かける。
屋台の鮨(すし)を食べたい仙吉。
しかし小僧の身分では
鮨を食べるお金が足りない。

鮨を食べることを
渋々諦(あきら)める仙吉。
その仙吉を可哀想に思うA。

数日後、仙吉が奉公する秤屋へ
体重秤を買いに行ったA。
数日前のことを思い出したAは
仙吉を店の外へと連れ出した。

鮨を食べた経験のない仙吉に
お腹が一杯になるまで
鮨を食べさせてあげたいと
Aは考えたのだった。

仙吉を鮨屋へと連れて行き、
Aは代金を店主に前払いした。
そして、好きなだけ食べていいと
仙吉に言い残してその場を立ち去る。

仙吉は念願の鮨を
心ゆくまで堪能することができた。

仙吉にとっても
Aにとっても
幸せな気持ちで物語は終わる、
めでたし、めでたし・・・
とはいかないのである。

鮨をご馳走したAはなぜか、
その後不可解な気持ちに見舞われる。
その気持ちを作者の志賀直哉は
「変に淋しい気持」と記している。
また「いやな気持」とも追記している。

仙吉のために鮨をご馳走をしていながら
Aはなぜそのような気持ちに
見舞われてしまったのだろうか?

🍣

他人のために奉仕をする、
それは正しい行為であると
多くの人は信じている。

物語の中で主人公のAは
自分のお金で仙吉にご馳走した。
そして仙吉は満腹になるまで
鮨を堪能しているのだ。
仙吉にとっても、Aにとっても
幸せな結末であるはずなのに。

しかしなぜかAの心の中には
「変に淋しい、いやな気持」が
芽生えてくるのである。

果たしてこのAの心境を
どう読み解けばいいのだろうか?


私はこの結末を読んだ時、
面接練習で私に質問した
砧中生の事を思い出していた。

先日の「コラム」欄で紹介した
入試面接の場で
自分が行ってきたボランティアを
PRしていいかのかを悩んでいた生徒。
その生徒の気持ちと
物語の中のAの気持ちが
どこか繋がっているように思えた。

〜 次回へと続く 〜