校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.215
- 公開日
- 2022/02/05
- 更新日
- 2022/02/05
校長室より
No.215【人間の本質は】
私は今も信じているのです。
たとえ嫌なことばかりでも、
人間の本質は善なのだと。
これは『アンネの日記』
1944年7月15日の記述である。
阪神淡路大震災のあった1995年、
公開した社会科公民的分野、
国際平和の授業のまとめとして
私はこの一節を読み上げた。
涙ぐむ生徒もいて、
私は授業の手応えを感じていた。
しかし授業後の意見交換会で
参加した他校の先生から
私の想定外の質問が出された。
アンネが本当の苦しみを味わうのは
日記が書かれた後ではないのか?
その苦しみを知った後に
彼女は人間を「善」と言えるのか?
当時の私はその質問に対して
何の答えも持ち合わせていなかった。
📕
アンネ一家の隠れ家が
警察に発見され、
家族全員が連行されたのは
その日記の記述から約半月後の
1944年8月4日のことである。
そして翌年の1945年2月、
ベルゲン・ベルゼンの収容所で
アンネは病に冒(おか)され、
15歳でこの世を去る。
なぜ警察は隠れ家を発見できたのか、
これまでは長く謎とされてきた。
しかし最新の調査によって、
アンネ一家と同じユダヤ人が
密告した可能性が高いと言う。
ユダヤ人がユダヤ人を密告、
私はその報道に胸が詰まった。
歴史に「もしも」はないとされるが
もしもその事をアンネが知ったなら
果たして彼女は日記の中で
「人間の本質は善なのだ」と
記すことができただろうか。
27年前の社会科授業。
世界がどんな悲劇に見舞われても、
人間の本質は「善」であることを
私たちは信じていこうという
生徒たちへのメッセージは
やはり誤っていたのだろうか?
☮️
最新の調査では
密告したユダヤ人の背景も
明らかにされている。
その人物は密告をしなければ
自分の家族に危険が迫る、
密告をすることで
家族を守りたいという思いから
警察と取引をしたと言う。
この密告者の行為を
私は単に「卑怯」と片付けられない。
同じ状況下に置かれた時には
同じ行動をとる可能性は
誰にでもあるように思う。
人間は弱い存在だ。
弱いからこそ悩み、苦しみ、
その時点では最善だと信じて
一つの行動を選択する。
そしてその選択が果たして
正しかったのかを後悔もする。
人間の本質は「善」なのか
それとも「悪」なのか、
それは今の私にもわからない。
しかし人間は「善」でありたいと
願い続けている存在であると
私は信じたい。
1944年8月1日
『アンネの日記』最後の記述から。
私はなおも模索し続けるのです。
私がこれほどまでに
かくありたいと願っている
そういう人間に
どうしたらなれるのかを。
きっとそうなれるはずなのです。