校長室の窓から〜『富岳の眺め』 No.22
- 公開日
- 2018/06/30
- 更新日
- 2018/07/05
校長室より
「ゾウのはな子」の物語。
1949年、戦争で傷ついた日本の子供たちの心を癒そうと
タイから贈られたはな子。
1954年、武蔵野市の井の頭自然文化園に移されてから、
地元の子供たちの人気者となった。
しかし、不幸な事故が相次いで起こる。
不法侵入者がはな子に踏まれて亡くなるなど、
はな子に関わって二人の死者が出たのである。
一転、「殺人ゾウ」のレッテルを貼られ、
罵声を浴び、石を投げられる日々が続く。
そして遂には、鎖につながれ、
狭いゾウ舎に押し込められることとなる。
はな子の鎖を解いたのは、
多摩動物園から異動してきた飼育員の山川清蔵氏。
人間不信に陥り、敵意をむき出しにしてくるはな子に
山川氏は怯(ひる)むことなく寄り添い、
信頼関係を築いていった。
少しずつではあるが、
はな子の気性も穏やかになっていったと言う。
いつしかはな子は再び子供たちの人気者となり、
何度か重い病気を乗り越え、
「お婆ちゃんゾウ」として
全国に知れ渡るようになっていった。
2016年5月、はな子は69年の生涯を閉じた。
賞賛と批判は常に背中合わせ。
華やかなスポットライトを浴びたかと思えば、
誹謗中傷の渦中に追い落とされることも世の常。
たとえ逆風の下にあったとしても、
寄り添ってくれる人ときっと出会えるはず。
そして寄り添ってもらった人は
いつしか寄り添う側の立場から人を支えていく・・・。
W杯サッカー日本代表の試合に一喜一憂しながら、
ふと「ゾウのはな子」の物語が脳裏に浮かんだ。