校長室の窓から〜『富岳の眺め』 No.54
- 公開日
- 2019/01/27
- 更新日
- 2019/01/27
校長室より
🎵
口笛吹いて 空き地へ行った
知らない子がやって来て
「遊ばないか」と笑って言った
一人ぼっちじゃつまらない
誰とでも仲間になって 仲良しになろう
口笛吹いて 空き地へ行った
知らない子はもういない
みんな仲間だ 仲良しなんだ
🎵
1962年から1987年まで
NHK教育テレビで放送されていた
学校向け番組の主題歌である。
私も小学生の頃、教室のテレビ(当時は扉付き)で
道徳の時間にクラスメートと一緒に観ていた。
ある時、担任の先生がこの歌詞の意味を解説した。
「知らない子と仲良しになったから、
知らない子はこの空き地にはもう誰もいない、
という意味ですね」
私には違和感があった。
「知らない子と仲良しになったけど
また遊ぼうと空き地に行ってみると、
その子はもういなくなっていた」
私はそんなイメージで歌詞をとらえていたのだ。
その事を先生に言うと、
「普通はそんな風に考えませんよ」とやんわり否定された。
でも私にはそう思えて仕方がなかった。
それには理由があった。
近所の空き地で出会った知らない子と
仲良くなって何度か遊んだ実体験があったからだ。
そしていつしか
その子の姿を見かけなくなっていた・・・
私の中での歌詞の「知らない子」のイメージは
その時遊んだ子どものイメージと重なっていたのだ。
🎒 🎒 🎒 🎒
土管(どかん)のある空き地
私にとって子ども時代を懐かしく思い出す風景。
作家の赤坂真理さんが書いていた。
土管のある空き地とは
1960年前後の日本の都市化が急速に進んだ時代、
その一時期だけに出現した空間であったのだと。
それでも多くの人が
土管のある空き地で遊んだ思い出がある。
これはアニメ『ドラえもん』などを通じて
いつの間にか自分の遊んだ空間の記憶が
空き地の風景に書き換えられているからだと言う。
確かに私もよく思い出してみると
「知らない子」と遊んだ空き地は
公園だったような気もしてくる。
🌆 🌆 🌆 🌆
「主体的な学び」が現在求められている。
一人一人の感じ方を尊重し、
その思いを伝え合う学びである。
かつての私の「知らない子」の歌詞のイメージも
今では否定されることもない。
みんな違って、みんないいのである。
それぞれの思い出の中に
それぞれの「空き地」が存在しているように。