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校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.76

公開日
2019/07/06
更新日
2019/07/06

校長室より

幼い日の記憶。

港のそばの町に生まれ育った私。
港に出入りする船を見るのが好きだった。
小さな港で見かける船は
ほとんどが漁船だった。

ある日のこと。
漁船より少し大きめの船が入港した。
岸壁に渡し板が架けられる。
何人かの屈強(くっきょう)な男の人たちが
威勢のいい掛け声を上げ始めた。
何が始まるのか、と興味津々(しんしん)の私。
すると船の中から次々と綱で引かれた牛が出てきた。

男の人たちは牛を引っ張り、
岸の近くに停められたトラックへと連れて行く。
荷台に繋がれていく牛たち。

その時である。
船から降ろされた一頭の茶毛の牛が
突然いやいやをするように荷台に乗ることを拒んだ。
男の人四、五人でその牛を囲む。
港中がにわかに騒々しくなる。
ある者は牛の綱を引っ張り、
ある者は牛のお尻あたりを押す。

その光景に立ちすくむ私。
すると近くて漁網を修理していた別の男の人が
私に話しかけてきた。

「これからどうされるんか、牛もわかっとる。」

次に憶えているのは
トラックの荷台に繋がれた茶毛の牛の姿。
記憶の中のその牛は
なぜか私をじっと見つめていた。
その寂しそうな目を見るのが悲しくて
私はその場を立ち去った。


  🐂    🐂    🐂    🐂


移動教室で訪れた酪農牧場。
酪農の持つ牧歌的なイメージとは異なり、
強烈な臭いに思わず鼻を覆う生徒たち。

牛の大きさに尻込みをしていたものの
牛たちに餌をやり、
乳搾りを体験していく中で
次第に親近感が芽生えてきた。
牛たちの体を撫でながら
話しかける姿も見られようになった。

「目がかわいい」
至るところで歓声が上がる。

バターづくりを体験し
パンに塗って食べ終えた後
牧場スタッフから話があった。
この後、牛たちがたどる運命について。

スタッフは気持ちを込めて話す。
この牛たちを大切に大切に育ててきた思いを。
この牛たちが自分たちの宝物であることを。
しかし、確実におとずれる別れの時を。

真剣な眼差しで話を聞く生徒たち。
話が終わり、バスに向かう生徒たちの表情は
先ほどまで牛たちと戯(たわむ)れていた表情とは
全く異なっていた。

バスに乗り込む前に、
私はもう一度牛舎を覗いてみた。
静かに牧草を食(は)む牛たち。

そのうちの一頭が私の方を見た。
目と目が合う。

遠い日の記憶の中の
荷台に繋がれた茶毛の牛の目と
その牛の目が一瞬、重なったように思えた。