『富岳の眺め』No.83 余録
- 公開日
- 2019/08/16
- 更新日
- 2019/08/16
コラム
映画の中でこんなシーンがある。
甲子園のグラウンドに立った嘉義の選手たち。
彼らは甲子園の土の良質さに驚く。
地元の嘉南地方の土地は水に恵まれていない。
農林学校の選手たちだからこそ
農民たちの苦労を知っているのだ。
ここに一人の日本人が登場する。
八田 與一(はった よいち)。
土木技師。
彼が中心となって10年の歳月をかけ
嘉南の地にダムを建設し
灌漑(かんがい)施設を整備していく。
飲み水にも事欠く状況だった嘉南の地。
荒れ地の農作業に多大な苦労を強いられてきた。
ダムが完成し、水路に水が流れる。
農民たちは歓喜と感謝の声で八田を称える。
この灌漑施設の完成は
嘉義農林の甲子園出場前年の1930年だった。
今、嘉南の地は台湾でも有数の
穀倉地帯となっている。
映画ラストの監督の言葉には
そんな意味も込められているのだ。
灌漑施設の中心である烏山頭ダム、
地元では今も八田ダムと呼ばれている。