校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.85
- 公開日
- 2019/08/31
- 更新日
- 2019/08/31
校長室より
8月も終わりに近づいたある日、
中学生だった私は夏休みの自由研究に
全く手をつけていないことに気づいた。
2学期の始まりまで残りわずか。
焦った私は悩んだ末に、
自宅近くのお寺へ出向くことにした。
そのお寺の写真を撮り、歴史を調べて
模造紙に体裁(ていさい)を整えれば
自由研究としての見栄えはするだろうと思ったのだ。
私はお寺へと自転車を走らせた。
向かったお寺は
四国八十八箇所のお寺の一つであった。
📷 📷 📷 📷
お寺に到着した私は
早速カメラで何枚かの写真を撮った。
そして立て札に書いてあるお寺の歴史を
せっせとノートへ写し始めた。
これで自由研究は何とかなった・・・
ホッとする私。
いや、ホッとはしたが、
なぜだか釈然としない気持ちが残った。
「これって研究と言えるのだろうか?」
そんな後ろめたさがあったのだ。
それでも私はその気持ちを振り切ろうとした。
2学期はもうそこまで迫っている。
今さら元には戻れない。
その時、私の後ろで突然声がした。
「若いのに偉いねぇ・・・」
振り向くと80歳過ぎと思われる
おばあさんが立っていた。
「お参り、ご苦労様です」
おばあさんは私に何度も頭を下げた。
「家に冷たいスイカあるからお寄りなさい」
おばあさんはそう言って
私をお寺近くにある自宅へと案内してくれた。
戸惑いながらもおばあさんに付いていく。
そこは昔ながらの農家だった。
お盆にのった冷たい麦茶とスイカが私の前に出された。
お寺へ来た本当の理由を言い出せない私。
おばあさんはゆっくりと話し始めた。
四国八十八箇所のお寺を巡ることは
昔は命懸けであったこと。
そんなお参りをする人たち(お遍路さん)を
四国の人たちは暖かく迎え入れ、
無償で家に泊めたり、食事を出したりしてきたこと。
その文化を「お接待(せったい)」と呼び、
今も変わらず受け継がれていること。
「お参りする気持ち、大事なんですよ。
だからこのスイカはお接待なんですよ。
遠慮せずにどうぞ召し上がれ。」
おばあさんの話を聞ききながら
私はスイカに手を伸ばした。
冷たく、とても甘いスイカだった。
「お接待」の話を聞いたことはあったが、
まさか地元に住む自分が受ける側になるとは。
私は勇気を出して、
おばあさんにお寺へ来た本当の理由を話した。
実は自転車で数十分の所に住んでいること。
決してお参りが目的ではなく
自由研究のために、とりあえずお寺に来たこと。
それでもおばあさんは笑顔でこう言った。
「このお寺を選んだのもご縁ですね」
私は麦茶とスイカのお礼を言い、
おばあさんの家を後にした。
自転車で曲がり角まできて振り返ると
おばあさんはまだ手を振ってくれていた。
なぜだかわからないが、
「ご縁」という言葉が頭から離れなかった。
🍉 🍉 🍉 🍉
帰宅後 模造紙を前に考え込む私。
しばらくして市立図書館へと自転車を走らせた。
図書館で何冊かの本を選び、
学習室で真剣に調べ始めた。
いつの間にか私の自由研究のテーマが
「わが町のお接待文化」に変わっていた。