砧中TOPICSメニュー

砧中TOPICS

校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.94

公開日
2019/11/02
更新日
2019/11/02

校長室より

大学生の時に
お目当ての映画を観ようと
下宿近くにあった名画座へと向かった。
今では珍しくなった二本立て。
お目当ての映画と同時上映していたのが
『男はつらいよ』だった。

「あ〜ぁ、寅さん映画かぁ・・」

中高校生の頃から正月になると、
大人たちが「寅さん」を話題にしていた。
正直、私にはそれほど興味があったわけではない。
大がかりなハリウッド大作や
カンフー映画の方に魅力を感じていた。

その日も、お目当ての映画だけでいいかな、
そんな気持ちで映画館に入ったのだが、
下宿に帰っても特段やることもない。
時間だけはいくらでもある大学生。
もう一本の『男はつらいよ』も一応観ておくか、
深くも考えずに「寅さん」を初めて観たのだった。


🎬


名画座を出た私は、
なぜだか心が温かくなっていた。
『男はつらいよ』の不思議な魅力。

上映中、何度も腹を抱えて笑い、
時折、しんみりとさせられた。
ただ単に、寅さんが女性に惚(ほ)れて
最後は失恋して旅立つというだけのストーリー。
それでもその不器用な生き方が素敵に思え、
少し、カッコいいとさえ感じていた。

その後、寅さん映画を片っ端から観た。
名画座やテレビの再放送。
気がつけば全49作を制覇(せいは)していた。


寅さんは決してカッコいい事は言わない。
それでも、カッコいいと思えるのだ。

甥(おい)の満男(吉岡秀隆)に自慢する。

「他の人になくてね、伯父さんに有り余るもの、
それは "暇" だよ」

甥の満男が寅さんに尋ねる
「人間って何のために生きてるのかなぁ」

ちょっと考えて寅さんが答える。

「何というかな
ああ生まれてきて良かった、
そう思うことが何べんかあるだろう
そのために生きてんじゃねえか」


「忙しい」と言うことが
カッコいいと思っている世の中で
自分は「暇」だと自慢できるカッコよさ。

欲しいモノが何でも手に入る生活が
幸せなのだと思い込んでいる世の中で
本当の幸せは何なのかを
さらっと言えるカッコよさ。

SNSでのつながりが幅を利かせ、
人と人とが直接会って
本音をぶつけ合う機会が少なくなった今。
多少荒っぽさがあっても
寅さん(渥美清)の表情には
いつも人を思う優しさが満ちている。


精神科医の名越康文さんが書いていた。

誰かに薦められて観る映画ではなく、
ふとしたきっかけで出会う映画であると。

映画の中の人たちが
ふとしたきっかけで寅さんに出会い、
その生き方に心魅かれるように。

お目当ての映画を観ようと名画座に向かい、
ふとしたきっかけで二本立てのもう一本である
『男はつらいよ』に出会った私のように。


🎥


ちなみに今となっては
そのお目当ての映画が何であったのか
全く思い出せない私なのである。


※「コラム」欄に「余録」も掲載しました。
左欄「カテゴリ」から「コラム」を選んでください。