校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.100
- 公開日
- 2019/12/14
- 更新日
- 2019/12/14
校長室より
2006年12月、事故は突然に起きた。
三代達也(みよ たつや)さん、当時18歳。
バイク事故で頸髄(けいずい)損傷。
奇跡的に一命はとりとめたものの
生涯車いす生活を余儀なくされる。
絶望の日々を乗り越え
三代さんのチャレンジが始まる。
無謀とも言える車いすによる世界一周。
18歳で一度は終わった人生、
やらない後悔よりやる後悔を選択する。
しかし、いざ旅立ってみると
想像以上のバリアが彼の前に立ちはだかる。
障害者支援を装った詐欺集団。
車いすには苦行となる石畳の道。
原因不明の高熱による旅の中断。
それでも彼は信じ続ける。
あらゆるバリアは
人の手で越えられると。
♿
駅などの公共の場で
車いす利用者を見かけた場合
あなたはお手伝いの声かけをしますか?
この質問に多くの日本人はこう答えると言う。
声かけしたいけど
周囲の視線が気になって
気づかなかったふりをする。
30年ほど前の出来事。
JR駅の券売機の前で
私と同世代の車いすの女性が
料金表示を見上げていた。
あまり気にもとめずに通り過ぎた私。
改札口の手前まで来たとき
通り過ぎた券売機の方から声が聞こえた。
「お手伝いしましょうか?」
振り返ると中学生と思われる女子生徒二人が、
車いすの女性に話しかけていた。
「ありがとうございます、手が届かなくて」
そう、車いすの女性は券売機の前で
切符を買えずに困っていたのだ。
私はその事に気づかなかった。
自分の教え子と同じ中学生、
彼女たちはそれを見逃さなかった。
教師でありながら気づかなかった私。
いや、今改めて振り返ってみると
私は気づいていたのかもしれない。
声をかける勇気がなく、
自分自身に気づかなかったのだと
思い込ませたかったのかもしれない。
🎫
三代さんの車いす一人旅。
ニューヨークの交差点を横断中、
段差に気づかず、車いすごと転倒した。
行き交う自動車を前に
絶体絶命のピンチに陥る。
その時である。
通りすがりの人たちがさりげなく駆け寄り
ある人は車いすを元に戻し、
ある人は三代さんを支えて起こし、
ある人は散らばった持ち物を拾い集め
そして、駆け寄った時と同じように
さりげなくばらばらに去って行った。
見ず知らずの人たちによるチームワーク。
15秒間の奇跡の連携プレーだった。
あらゆるバリアは
人の手で越えられる。
三代さんは世界一周を達成し、
その経験を一冊の本に著した。
『一度死んだぼくの、車いす世界一周』
本の最後に
旅で訪れたハワイの言葉が紹介されている。
NO RAIN , NO RAINBOW
(雨が降るから、虹がかかるんだよ)