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校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.128

公開日
2020/06/27
更新日
2020/10/31

校長室より

No.128【共に立つ】

1968年4月 アメリカ
人種差別撤廃を求めて
公民権運動の先頭に立っていた
黒人指導者キング牧師が凶弾に倒れる。
その半年後、
メキシコでオリンピックが開催された。

陸上男子200メートル
圧倒的強さを誇るアメリカの選手たち。
特にトミー・スミスとジョン・カーロスの
黒人2選手は群を抜いた記録を持ち
金銀は間違いなしと見られていた。

決勝の走りで
金メダルに輝いたのはスミス。
銅メダルにはカーロス。
そして銀メダルを獲得したのは
世界的には全く無名の
オーストラリアの白人選手
ピーター・ノーマンだった。

🥇

事件は表彰式で起こった。
メダルを首にかけられ
アメリカ国歌が場内に流れ出すと
金と銅のスミスとカーロスが
突然、黒手袋の拳(こぶし)を
高々と突き上げたのだ。
胸には人権バッジが付けられていた。
黒人の人権を世界中に訴える
二人の願いが込められていた。

そして、銀メダルのノーマンの胸にも
同様に人権バッジが付けられていた。

なぜ白人のノーマンもバッジを付けたのか。
表彰式前にスミスとカーロスの
決意を知ったノーマンは
自らスミスとカーロスに協力を申し出た。
「君たちと共に立ちたい」

しかし、当時の世界情勢は
三人の行動を許さなかった。
オリンピックを政治利用したとして
スミスとカーロスは
オリンピックから永久追放となる。

そして、ノーマンもまた
黒人選手の行動に賛同したとして
母国オーストラリアで非難を浴びる。
その後、選手としての出場の機会を
永遠に奪われることになったのだ。

🥈

それからしばらくしてアメリカでは
黒人の人権を守る機運が高まり
スミスとカーロスはコーチとして
陸上界への復帰を果たした。

しかし、オーストラリアのノーマンは
その名誉を回復することなく、
2006年、失意の中でその生涯を閉じる。
享年64歳。

かつての銀メダリストとしては
あまりにも寂しい葬儀の参列者の中で
ノーマンの棺(ひつぎ)を担いだのは
アメリカから急きょ駆けつけた
スミスとカーロスだった。
三人の友情はその後も続いていたのだ。

🥉

アメリカ、サンノゼ州立大学。

スミスとカーロスの偉業を称(たた)えて
表彰台に立つ二人の銅像がそこにある。
二人の姿は拳を高く突き上げ、
黒人の人権を今も世界に訴えている。

しかし、ノーマンの姿はそこにはない。
その空席の場所には
こんなメッセージが記されている。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ピーター・ノーマンは共に立った
どうかあなたも ここに立ってほしい
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


《参考》
NHK BS『映像の世紀プレミアム』
(2020年6月20日放送)