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校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.174

公開日
2021/05/04
更新日
2021/05/04

校長室より

No.174【Railway】

大学生の頃の私は
長い休みに入ると
乗り放題切符を使い、
鉄道の旅を楽しんでいた。

一人で過ごすことが好きな私にとって
ある時は文庫本を読んだり、
またある時は車窓からの景色を
ぼんやりと眺めたりすることは
至福の時間でもあった。


そんな旅の途中のある日のこと。
四人掛けの私の前の座席に
途中駅から乗ってきた
老夫婦が座った。
しばらくして婦人が
バッグからミカンを取り出して
私に「どうぞ」と手渡した。
お礼を言って受け取った私に
老夫婦が話しかけてきた。
「どこまで乗るの?」
「大学生なの?」

正直なところ面倒だと思った。
なぜなら私はその時、
読書をしたかったから・・・
しかし話しかけてくる二人を
無視するわけにもいかず
適度に相づちを打っていた。

その老夫婦との会話は
しばらく続くことになった。

🚃

鉄道発祥の地はヨーロッパ。
かつて馬車が移動手段だった時代、
見知らぬ者同士が何日間も
共に過ごさなければならなかった。
人々はその時間を談笑に励み、
親しくなる努力をしていたと言う。

しかし鉄道が発達してからは、
旅のスピードが加速した。
会話が弾み出したところで
相手はすぐに降りてしまう。
いつしか人は会話を楽しむより
目的地に早く着くことばかりを
考えるようになった。

そして駅の売店では
そんな旅の時代のお供として
本が売られるようになっていった。
こうして他人との時間を
会話をして共有することより、
自分だけの時間を過ごすことが
旅の目的の一つとなったのである。

💺

老夫婦との会話は結局、
2時間以上にも及んだ。
最初は面倒と思っていた私も
戦時中の二人の体験談など
いつしかその話題に
引き込まれていった。

老夫婦が降りる駅に着いた。

すると突然二人は私に頭を下げて
謝罪の言葉を口にした。
「年寄りに付き合わせてごめんね」


ホームに立って
列車が動き出すまで
私に手を振り続けていた老夫婦。
私も周囲を気にしながら
小さく手を振った。

ハンカチを出して
目頭を押さている二人の姿が
窓の外を過ぎ去っていった。