校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.206
- 公開日
- 2021/12/11
- 更新日
- 2021/12/11
校長室より
No.206【廊下の奥から】
戦争が
廊下の奥に
立ってゐた
私が高校生の時に
国語の授業で教わった
季語の無い俳句である。
「立ってゐた」は
「立っていた」と読む。
作者は俳人の渡辺白泉、
1939年に詠まれている。
先生が黒板にこの句を書いた瞬間、
私は背筋に悪寒が走ったのを
今でも鮮明に憶えている。
✏️
今から80年前、
日本は太平洋をはさんで
アメリカと険悪な関係にあった。
日本は大陸や東南アジアへと
経済的な豊さを求めて
領土拡大を目指していた。
しかし日本の急速な拡大に
警戒感を強めていたアメリカは
強硬な対抗措置をとってきた。
特に日本への石油輸出禁止は
国民生活に大きな打撃となった。
生活必需品が店頭から消え、
日々の暮らしが困窮していく。
その生活の苦しさから
人々は不満や怒りの矛先を
アメリカへと向けていく。
当時の軍事研究によると
日本が戦争に勝てる確率は
わずか0.1%しかなかった。
しかし国民感情が
アメリカとの開戦を
後押ししていくことになる。
絶対に正義は勝つ。
絶対に日本は負けない。
何ら根拠が無くとも
「絶対に」という言葉に酔って
人々は勝利を信じようとした。
戦争が廊下の奥から
ゆっくりと近づいて来る。
📻
1941年12月8日午前7時、
ラジオから臨時ニュースが流れた。
ハワイにあるアメリカ軍基地を
日本の軍隊が攻撃して
大きな勝利を収めたと。
そのニュースを耳にした
国民の多くが歓喜した。
絶対に正義は勝つ!
絶対に日本は負けない!!
海の向こうの
遠い地で行われている戦争。
廊下の奥に立っている
ぼんやりとした
影でしかなかった戦争。
まもなくその戦争が廊下を通って
自分たちの部屋の中へ
入って来ることになろうとは・・・
それから4年後
およそ310万人の犠牲者を出して
日本は敗戦の日を迎えた。