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校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.205

公開日
2021/12/03
更新日
2021/12/03

校長室より

No.205【消えゆく社交場】

近所の銭湯が廃業した。

徒歩5分の距離にあった銭湯へ
気が向いた日に通っていた。
自宅に風呂があっても
私はふと銭湯に行きたくなるのだ。

近所の銭湯が廃業したことで
自宅から徒歩圏内の銭湯が
全てなくなったことになる。

思い起こせば
銭湯と私のつながりは長い。
小学校高学年になるまでは
自宅には風呂がなく、
銭湯に通うのが日常だった。

上京してからの8年間も
銭湯のお世話になっていた。


大学生の頃に通っていた銭湯は
あの名曲「神田川」で有名な
横丁の風呂屋であった。
風呂上がりには神田川沿いを
石鹸をカタカタ鳴らして
三畳一間の小さな下宿へと
一人ぼっちで帰ったものだ。

就職してから通った銭湯では
いつも私が閉店間際の客だった。
番台のおばあさんが時々
トマトジュースを無料でくれた。
閉店時刻が過ぎた脱衣場で
一人で飲むトマトジュース、
その味わいが胸にしみた。

思い起こせば
銭湯は私にとって社交場だった。
子どもだった頃は騒いだり、
浴槽に水を入れすぎたりして
見ず知らずの客によく怒られた。
公共の場での振る舞い方を
いつしか学んでいたように思う。

大人になってからは
浴槽の隣客とよく世間話をした。
ある時一緒になったおじいさんは
戦争当時のつらかった日々を
独り言のように話し始めた。
軍を除隊して帰国すると
空襲で家族全員を失っていたと
泣き笑いのような表情で
私に語ってくれた。

湯けむりの中での
様々な人たちとの出会いを通じて
様々な人生を垣間見たように思える。

♨️🗻

数年前、かつて住んでいた町を
ふらりと訪れてみた。
40年近くの歳月の流れは
記憶の中にあった町並みに
いくつもの空白を生み出していた。

神田川近くのあの銭湯は
マンションへと姿を変えていた。

閉店間際に駆け込んだ
あの銭湯は駐車場となっていた。

かつてそこにあった
銭湯の面影を追い求めながら、
私は側にあった自動販売機から
トマトジュースを1本買っていた。