校長室の窓から〜『富岳の眺め』 No.16
- 公開日
- 2018/06/02
- 更新日
- 2018/06/02
校長室より
先日逝去した高畑勲監督の『火垂るの墓』。
父母を戦争で失った兄妹、
清太と節子の過酷な運命を描く。
初めて観たのはテレビのロードショー番組。
既に社会人となっていた私は、夏の帰省の折に四国の実家で
久しぶりに家族揃ってお茶の間で観たことを憶えている。
物語の兄妹と世代が近い私の両親は涙ぐんでいた。
「本当の空腹感って、今の若い人たちにはわからん。」
父はそう呟いていた。
明治生まれの祖母は途中でそっと席を立った。
幼い長男を食糧難の時代に亡くしている祖母には
清太と節子の姿が亡き息子と重なったのかもしれない。
一緒にテレビを観た祖母も父も今はもうこの世にはいない。
数年後、勤務する中学校の映画鑑賞教室で
『火垂るの墓』を上映した。
体育館の所々から生徒の嗚咽が聞こえた。
服装違反を繰り返し、
教師に反抗的な態度を取り続けていたT君。
「タイムマシンがあったら給食を節子ちゃんに届けたい。」
鑑賞後のアンケートに彼はそう書いていた。
『火垂るの墓』の見方が最近変化してきた、という記事を読んだ。
西宮の親戚の家を飛び出し、
兄妹だけで壕で暮らす決断をした清太に対して
自分の都合を優先したもので「自己責任」だというのである。
映画には様々な見方があっていいと思う。
みんな違ってみんないいのである。
でも、と思う。
ざらついた違和感。
私の知り得る範囲では清太と節子に同情こそすれ
批判する人たちはいなかった。
⭐ ⭐ ⭐ ⭐
実家で『火垂るの墓』を観たその夜のこと。
そろそろ寝ようかと寝室に向かっていた時、
祖母の部屋がまだ明るいことに気がついた。
ふと部屋を覗いてみた。
仏壇の前に祖母の小さな背中が見えた。
祖母は仏前に果物を供えて、
亡き息子の遺影に「おあがり」と語りかけていた。
あの日の祖母の姿を私は今も忘れることができない。