校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.99
- 公開日
- 2019/12/08
- 更新日
- 2019/12/08
校長室より
1990年夏
ドイツ・ミュンヘン中央駅から
列車とバスを乗り継いで、
私は目的地へと到着した。
ダッハウ強制収容所
ナチス、ヒトラー政権下の1933年から12年間
ユダヤ人をはじめ政治犯や難民など
政権にとって「敵」と見なされた人々が
囚人としてこの場所へと強制的に送られた。
焼却炉、ガス室、そして収容棟。
当時250名定員の収容棟に
1600人が生活していたという記録もある。
ARBEIT MACHT FREI (働けば自由になる)
ドイツ語で掲げられたこの言葉を信じて
多くの収容者がこの地で命を落とした。
八月の容赦ない日差しがじりじりと照りつける。
むせかえるような夏草の香に息苦しさを覚える。
私は半世紀前にこの場所で繰り広げられた
非人道的な行為が幻となって眼前に現れた気がして
思わずその場に座り込んでいた。
🌿
『ベルリンは晴れているか』(深緑野分 著)
ナチス政権下の監視国家ドイツを、
そして敗戦後の荒廃したドイツの姿を
日本人作家が書いたとは思えないリアルな筆致で
克明に、そして悲しみを込めて描いた小説。
1990年夏にダッハウで見た幻が
再び私の眼前に現れたかのような錯覚に襲われた。
人間が人間に対して
これほどまでに冷酷に振る舞えるのか、
先を読み進めていくことが息苦しくなり、
私は何度も本を閉じた。
密告、裏切り、暴力 ……そして傍観。
その非人道的行為に加担したのは
他の誰でもない、まさに隣人たち。
ナチス政権上層部の幹部たちではなく、
名もない一般市民たちであった。
救いの見えない物語の中で、
それでも主人公である一人のドイツ人少女の
懸命に前に進んでいこうとする姿に突き動かされて
私は一か月かけてこの本を読了することができた。
ベルリンの壁崩壊から今年で30年。
🌳
哲学者ハンナ・アーレントが訴えたこと。
私的な考えや振る舞いが
公的な場で当然となっていく社会、
その行く着く先には全体主義が待っている。
かつてのナチス政権下のドイツのように。
その私的な考えが「他者への憎悪」であった場合、
そして公的なものがその憎悪を利用しようとした時に
多くの悲劇が生まれるであろうことは
既に歴史が証明している。
国家が誰かを「敵」と見なした時に
国民は簡単にそれを許してしまう。
ヒトラーが選挙で選ばれたことを
私たちは決して忘れてはならないのだ。
恐ろしいことは中々起こつて来ないやうに見えて
平気で起こつてくるものである
〜武者小路実篤
1941年12月8日 日米開戦