校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.107
- 公開日
- 2020/01/25
- 更新日
- 2020/01/27
校長室より
No.107【街歩きのすすめ】
坂道を横切ろうとして思わず立ち止まった。
背筋が寒くなるような文字が
一瞬、私の目に止まったのだ。
「幽霊……」
今、目にしたのは何だったのか?
気になった私は恐る恐る振り返った。
よく見るとそこには標識が立っていた。
その坂の名称を示す細い柱。
そこに書かれていた文字、
「幽霊坂」
JR御茶ノ水駅から徒歩数分。
近代的なビルに囲まれた一帯にその坂はあった。
「なぜ、ここが?」
周囲の風景と全くそぐわない坂の名前、
私は早速、その坂の由来を調べることにした。
🏙️
休日になるとよく街歩きをする。
街の景観を眺めながら、
かつてのその街の風景を追い求める。
特にお気に入りはJR御茶ノ水駅周辺。
近代的なビルと渓谷によるダイナミックな地形。
神田明神や湯島聖堂など江戸時代の面影と
ニコライ堂や聖橋など
中世ヨーロッパを想わせる街並み。
江戸の昔、この地に「神田山」があった。
この山の真ん中を人力で掘り、
江戸市中に水を引き込むために神田川を通した。
「神田山」は本郷台と駿河台の台地に分かれ、
今の渓谷風の姿となったのだ。
まさに人力によって造られた景観なのである。
私が初めてこの街を訪れたのは40年程前。
ラジオから流れてきた素敵な歌に
ふと御茶ノ水の街を歩いてみたくなった。
しますえよしおさん(シャンソン歌手)が歌う
『初めての日のように』。
🎶
歩いてみたい何となく
御茶ノ水から駿河台
訪ねてみたい何となく
ニコライ堂や聖橋
🎶
あれから何度この街を歩いたことだろう。
そして訪れるたびに新たな発見がある。
🏞️
「幽霊坂」に話を戻そう。
今でこそビルに囲まれた坂ではあるが
江戸時代は鬱蒼(うっそう)と樹木が繁り
昼なお暗い場所だったという。
またかつてはごみ坂とも呼ばれ、
ちょうど坂下がごみ捨て場所となっていた。
幽霊が出たという記録はない。
人があまり近づきたがらない
幽霊の出そうな坂、がいわれらしい。
改めて坂の上から見下ろしてみた。
かつての面影はない。
舗装された道路、お洒落なビルのフォルム。
ちょっと待てよ、とふと気づいた。
駅に近い華やかな場所にありながら
先ほどからその坂にいるのは
私一人だということを。
※
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