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校長室の窓から〜『富岳の眺め』No.108

公開日
2020/02/01
更新日
2020/02/02

校長室より

No.108【国境の壁を越えて】

1990年夏、ドイツ・ベルリン。
私はかつて検問所のあった場所に立っていた。
前年、ベルリンの壁が崩壊していた。
ドイツを東西に分断していた壁。
家族や友人にさえ会うこともかなわず
その壁を越えようとして
多くの人たちが命を落とした。

1945年、ヒトラー政権下のドイツが敗戦した。
ドイツはアメリカ、ソ連などによって
管理下に置かれることとなった。
その後、アメリカとソ連の対立により、
国家が東西に分断されることになる。
東ドイツの苦しい生活を逃れようと
多くの人々が西ドイツへと脱出した。
ソ連は人の流出を防ぐために
1961年、国境線に有刺鉄線を張り巡らし
ベルリンに突如、壁が建設されたのだ。

🇩🇪

それは2分間の黙祷(もくとう)から始まった。

映画『僕たちは希望という名の列車に乗った』。

ベルリンの壁が建設される数年前の東ドイツ。
隣国ハンガリーで起きた暴動で、
数多くの犠牲者が出た。
そのニュースを偶然知ることとなった
東ドイツの高校生たち。
自分たちと同じソ連の管理下に置かれ、
苦しい生活への不満から暴動を起こした
ハンガリーの人たちに同情して
彼らは授業中、黙祷を捧げることにした。

しかし、その行為が国家への反逆とみなされ、
高校生たちは一人一人尋問を受ける。
誰が最初に黙祷を企(たくら)んだのか、
それさえ白状すれば君の将来は安泰だ、
しかし、もし白状しなければ・・・。

自分を守るために友だちを売るのか、
それとも友情のために
自分の進路も、そして家族の幸せも
すべてを犠牲にする覚悟があるのか、
高校生たちは究極の選択を迫られる、

映画の原題は『沈黙の教室』。
1956年東ドイツで
実際に起きた出来事である。

映画を観ながら
その息苦しさの中で
果たして私ならどの道を選ぶのか
高校生たちに感情移入しながら考えた。

🇬🇧🇪🇺

1990年夏、
私は西ベルリンから東ベルリンに入った。
まだ崩れかけた壁が所々に見られる。
東側に入ると街の風景が一変した。
古びた建物や旧式の自動車。
粗末な衣服を身にまとった
移民と思われる10歳ほどの少女が
私に近寄り、空き缶を突き出してきた。

ヨーロッパでは国境を越えて
人や物が自由に行き来できるよう
長年、統合のための努力が積み重ねられた。
そしてその統合の象徴として
1993年、EU(ヨーロッパ連合)が誕生した。

2020年1月31日
そのEUからイギリスが離脱した。